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大正以前に創業し約100年経過したお店を訪問しブログを書いています。訪問は2000軒超!老舗好き、日本各地の食べ物が好きな人にオススメの老舗情報や、最近訪問した老舗を紹介中!この地域にオススメある?等あればお気軽に質問を〜。NHK、テレビ東京等に専門家として出演。運営者は @aikawa です。お仕事相談も待ってます〜。
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愛知県北西部(尾張地方)の一宮市は、古社の真清田(ますみだ)神社が尾張国一之宮であることに由来。古くから同社の鳥居前町として栄え、江戸時代は尾張藩領でした。茄子・葱等の農産物やきしめん・一宮妙興報恩禅寺そば・ベトコン(ベストコンディション)ラーメン・各種和洋菓子等の特産品・名物があり、喫茶店モーニングサービスの発祥地とされています。多数の城址・寺社がある市内には老舗の飲食店・和洋菓子店・食品店が残
数年前から、大正以前(1926年以前)に創業された、老舗飲食店を訪問しつづけています。日本には多くの老舗店があるのですが、見つけづらかったりするし、身近じゃなかったりする方も多いので、訪問してはその情報を老舗食堂というサイトにまとめています(22年1月末現在、1400軒強掲載)。 訪問する中で感じたのは、「老舗についてまとめた情報が少ない」ということ。であれば、私もまとめてみようと、このno...
この4年で100年越えの老舗飲食店、和菓子店、調味料メーカーを2000軒ほどまわっています。そんな活動をしていると、「おすすめの老舗を教えてよ!」と言われることが増えてきました。毎回、ニーズに合わせて「こんな老舗がありますよ!」とお伝えしているのですが、もっと簡単にシェアできるものを作った方が良いな、と思うようになりました。じゃあ、老舗同人誌を作っちゃおうじゃないか!、という記事です。 (この記事
数年前から、大正以前(1926年以前)に創業された老舗飲食店や食品企業・調味料メーカーを訪問し続けています。日本って世界一老舗企業が多い国なのですが、あまり身近と感じられていない方も多いと思います。私としては、「日本が誇る老舗企業や飲食店に行くと楽しいよ!」とお伝えしたく、できる限り訪問をして記事を書き、老舗食堂というサイトにまとめております(24年4月現在、2400軒強掲載)。...
相川 知とも輝きさん(42) =大田区 すき焼きの今半にオムライスのむさしや、うなぎの野田岩−。創業百年を超える飲食店に魅了され、老舗...
沖縄本島北部の沖縄県国頭(くにがみ)郡に属する本部町(もとぶちょう)には、昭和50年7月から同51年1月(1975-1976年)に沖縄国際海洋博覧会が開催された国営沖縄記念公園(海洋博公園)があり、園内には沖縄美ら海(チュらうみ)水族館が所在しています。町内を流れる塩川は小規模河川(全長約300m・川幅4m)ですが、国内唯一の高塩分濃度により、沖縄県復帰当日の昭和47年(1972年)5月15日付で
行政機関や企業が集積する横浜市中区は、山下公園・港の見える丘公園・横浜中華街・元町・伊勢佐木町などの繁華街や行楽・観光地を擁す横浜の中心地の一つ。関内・桜木町地区を中心に老舗の飲食店・和洋菓子店・食品店などが数多く点在しています。 1910年創業、横浜からスタートした日本を代表する洋菓子店 不二家 関内駅から徒歩5分強の場所にある不二家 横浜センター店。こちらは、現存している不二家の最も古い店舗で
行政機関や企業が集積する横浜市中区は、山下公園・港の見える丘公園・横浜中華街・元町・伊勢佐木町などの繁華街や行楽・観光地を擁す横浜の中心地の一つ。関内・桜木町地区を中心に老舗の飲食店・和洋菓子店・食品店などが数多く点在しています。 1916年創業、日本最古のシベリア販売店 コティベーカリー 桜木町駅から5分ほどの距離にあるコティベーカリー。1916年(大正5年)に、日本堂というパン屋さんとしてスタ
音声放送チャンネル「老舗食堂管理人・相川」の「#1 神奈川県編(1/4回) 神奈川の老舗といえば牛鍋・元祖食パン・サンマーメン from 老舗食堂管理人相川(2022年5月21日放送)」。Voicy - 音声プラットフォーム
オフィシャルサイトにて、2021年1月末閉店と発表されています。 当店は創業230余年、江戸後期から川魚料理店として皆様よりご愛顧いただいて参りましたが、諸般の事情により令和3年1月末日をもちまして閉店することとなりました。 ーーー 葛飾区柴又は古くから題経寺(柴又帝釈天)の門前町として栄えていましたが、映画『男はつらいよ』の舞台となって全国的に知られ、江戸川対岸の千葉県松戸市への"矢切
台東区上野公園には、明治初期に日本初の都市公園である上野公園(上野恩賜公園)が不忍池周辺に造営され、園内には博物館・動物園・美術館・文化会館・芸術大学など多数の芸術・文化・教育施設が建設されて多くの人が集い賑わっています。そんな上野公園には老舗の飲食店や和菓子店なども複数存在しています。 1872年創業、上野公園内にある洋食店 上野精養軒 上野駅から上野公園へと入り、徒歩8分ほどの場所にあるのが上
目黒区のほぼ中央部にある中央町は、駒沢通りと目黒通りとに挟まれ、東急電鉄の祐天寺駅(祐天寺)・学芸大学駅(鷹番)が最寄りの住宅地です。1966年(昭和41年)に旧唐ヶ崎町と当時の鷹番町・中目黒四丁目・上目黒五丁目の各一部を併せて発足し、平成中期までは、目黒区役所(上目黒の村野藤吾設計・旧千代田生命保険本社跡に移転)の所在地でした。町内には老舗の製菓会社が所在しています。 1908年創業企業にルーツ
千代田区神田須田町は、神田川沿いの砂州に開かれた農地の洲田に由来。江戸時代から神田川・日本橋川などの運河に挟まれた交通の要所で、昭和後期頃までは日本橋・上野方面への都電(旧東京市電、路面電車)ターミナルとして賑わいをみせた場所。大正初年には赤煉瓦造りの万世橋駅(平成中期までは跡地が交通博物館)が中央線(旧甲武電車)の起点として開通して発展し、昭和中期~後期頃までは国内有数の羅紗(毛織物の一種)屋の
SNSを中心に江戸政さんの生たたき(生つくね、と語られることが多いですが、つくねでなく、たたきです)に色々な意見が上がった結果、22年9月20日に閉店を発表されました。残念過ぎる…。全文はこちらから。以下は抜粋です。 今回の騒動がなければ9月20日以降の営業でも商品となっていたところでした。食の安全と飲食店への信頼を脅かす営業をしていたことに責任をとり本日にて両国橋際江戸政を閉店することを決断しま
老舗の聖地浅草には甘味処も沢山あります。そんな甘味処の中で、個人的に最もインスタ映えする、と思っているのが梅園さんです。 1854年創業、浅草の甘味処 梅園 多くの老舗甘味処があつまる浅草の中で、160年以上の歴史を持ち、圧倒的に強いビジュアルの名物「あわぜんざい」を販売されているのが梅園さんです。浅草駅から浅草寺に向かって5分ほど歩いた場所にあります。 梅園という名の由来ですが、梅園さんのウェブ
江戸時代初期、信州高遠藩内藤家の下屋敷に甲州街道の新・宿場町として開かれて栄えた四谷内藤新宿(江戸四宿の一つ)に由来する新宿区新宿は、関東大震災後の東京西郊外の人口急増や昭和の大戦後の商業地復興に伴い発展してきました。渋谷・池袋と並ぶ三大副都心の一つとして、利用者数が世界一のターミナルであるJR・各私鉄の新宿駅東口方面が有数の繁華街・ショッピング街として賑わい、新宿3丁目などを中心に老舗の飲食店・
昭和中期に旧上京区から分かれた洛北の京都市北区は、東側を鴨川が流れていて北部が山間地帯で平野部は住宅地域となっており、私立大学も複数立地しています。鹿苑寺金閣(金閣寺)・賀茂別雷神社(上賀茂神社)・今宮神社・大徳寺・等持院(足利尊氏墓所)・船岡山城址等の寺社・旧跡も多く、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社(下鴨神社、左京区)の例祭である5月15日(陰暦四月の酉の日)の"葵祭(あおいまつり、賀茂祭
鴨川・堀川・高瀬川等が流れる京都市中京区(なかぎょうく)は、昭和初期に旧上京区南部と旧下京区北部とが合併して生まれました。染物・京友禅(きょうゆうぜん)産地として知られ、二条城・本能寺等の名所旧跡や祇園祭・時代祭・鴨川をどり等の年中行事が多くの観光客を集め、花街・歓楽街の先斗町(ぽんとちょう)や京都独特の生鮮食材・乾物・漬物・おばんざい等の専門店が集まる錦市場(にしきいちば)が賑わっています。区内
新宿・渋谷と並ぶ日本有数のターミナル駅がある池袋エリア。北関東の玄関口である池袋には、街の発展を共にした老舗が、今も営業しています。 1920年創業、パン・ケーキ・洋食店を販売する タカセ洋菓子 池袋東口1分の場所にあるタカセ洋菓子。1Fでパンを販売、2Fが喫茶、3Fがレストラン、9Fこでコーヒーラウンジを運営されています。1920年(大正9年)に、初代 森茂吉が四国から上京し、池袋駅前にてパンの
東京都中野区は武蔵野の中の地域である事が地名由来とされ、1400年頃(室町時代)に中野長者と称された鈴木九郎が開拓したとも伝わっています。JR中野駅北口には中野サンプラザ・サブカルチャーの聖地とされる中野ブロードウエイ・中野サンモール等の多数の商店街・区役所・丸井グループ本社等があり、旧警察大学校跡再開発地一部の"中野四季の都市(まち)"には大学キャンパス(早稲田・明治・帝京平
長崎県庁所在地の長崎市は、鎖国の江戸時代は天領でした。オランダ商館があり中国商船来航の出島が、朝鮮貿易の対馬藩と共に国内2か所のみの幕府公認の国際貿易港で、オランダ中心に欧州から多くの外国文化が流入して栄えてきた港湾都市であり、かつて戦艦武蔵を建造した造船の町でもあります。茂木枇杷・長崎和牛・からずみ・長崎かすてら・桃かすてら・ザボン漬・一口香等の特産品・名物や卓袱料理・ちゃんぽん・皿うどん・豚角
愛知県三河地方(西三河)の碧南(へきなん)市は、古くは西が遠浅の海で大きな砂浜が広がり大浜郷と称され、近世以降に属した碧海(へきかい)郡の南部にあったことから命名されました。大浜港(大浜湊)が古くから海上交通の要衝として栄え、江戸時代は駿河国沼津藩領地(大浜村等)・西端藩(西端村)・天領(前浜新田)でした。市域の約4分の1の農地での葉生姜・赤紫蘇・人参・玉葱・甘藷・無花果・花卉等や海・淡水の魚介類
JR各線や複数の私鉄のターミナルである横浜駅周辺や、埋立地である横浜みなとみらい21の一帯に企業の本社や大規模小売店舗などが集積している横浜市西区には、桜木町地区の一部も含まれ、老舗の飲食店や和菓子店などが複数残っています。 1908年創業、名物シウマイを販売し続ける崎陽軒 横浜名物と呼ばれるものは沢山ありますが、一番知名度が高いものが崎陽軒の「シウマイ」じゃないでしょうか。そんな崎陽軒の本店は、
ネット上に沢山画像が上がっていますが、22年12月29日をもって精陽軒さんが閉店されました。108年間、お疲れ様でした! --- 渋谷区渋谷は、約930年前に河崎氏(後に渋谷氏)が創建して周囲を居城としたとされる金王八幡宮のある場所。JR渋谷駅の東口から恵比寿方面への明治通り沿いや、青山方面への青山通り沿いは永らく低層建物・商店が並んで周辺は閑静な住宅地でした。2001年(平成13年)に渋谷駅新南
荒川区の日暮里は、かつて新堀(にいほり)と呼ばれていました。江戸時代の享保(1716~1736年)頃から"一日中過ごしても飽きない里"の意味で"日暮里(にっぽり、日暮らしの里)"の字が当てられるようになり、1749年(寛延2年)に正式地名となりました。明治~大正に日暮里村から日暮里町となり、今は東日暮里と西日暮里に分かれ、町工場・商店・住宅・寺社等が混在して
江戸時代は武家屋敷町で、旗本の神保長治氏の屋敷があったことに由来する千代田区神田神保町。近隣の駿河台地区にかけて各種の学校や大学が集積していますが、それらの私立大学が明治初期に法律学校として相次いで開設された際に、古書も含めた法律書の書店が次々に生まれ、やがて多くの一般書・専門書の新刊書店・古書店が建ち並んで、今や世界最大規模の神田古書店街を形成しました。和洋中の飲食店も数多く建ち並び、平成中期以
建国来、アメリカ最大の都市でありつつづけるニューヨーク。アメリカ最大の港湾を持ち、アメリカの歴史と共に発展し続けるニューヨークには、その歴史を共にした沢山の老舗店が残っています。 1888年創業、ニューヨークで最も古いデリ Katz's Delicatessen 地下鉄2nd アベニュー駅から徒歩2分、ブリーカー・ストリート駅から徒歩10分ほどの場所、ロウアーマンハッタンにある Katz
東京の北の玄関口・上野駅を核とする台東区上野は、江戸時代に建立された徳川将軍家菩提寺である寛永寺の門前町として栄えました。明治には不忍池周辺が上野公園(上野恩賜公園)として整備され、博物館・美術館・文化会館などの多数の芸術文化施設や、動物園などの観光・レクリエーションの場に多くの人々を集めています。アメヤ横丁の食材・雑貨・衣料等の商店も連日賑わい、由緒ある公園内や町の各所に老舗の飲食店や和洋菓子店
横浜市や藤沢市に隣接する鎌倉市大船は、平成中期まで存在した松竹撮影所が昭和初期に東京・蒲田から移転してから発展してきました。東京・横浜のベッドタウンとしての住宅地が広がる中に老舗の飲食店も残っています。 1898年創業、サンドウィッチ普及に一役買った 大船軒 大船駅構内で駅弁を販売する 大船軒。1898年(明治31年)に、駅前で旅館を営んでいた富岡周蔵氏が、駅構内での販売許可を得て駅弁販売を開始し
高級店から大衆店、甘味・軽食・ディナーまで何でも老舗で揃えられる街、浅草。今回は昔ながらの味を守る老舗天ぷら屋さんへ伺いました。 1837年創業、現存する日本最古の天ぷら屋 三定 銀座線浅草駅から徒歩1分、雷門の隣にある天ぷら屋 三定。1837年(天保8年)創業のこのお店は、現存する日本最古の天ぷら屋さんだそう。三定という屋号は、三河(今の愛知県)から上京した定吉さんが作ったお店、で、三河の定吉=
東京メトロの護国寺駅(文京区大塚)・江戸川橋駅(同関口)が最寄りの文京区音羽)(おとわ)。音羽谷の崖下から崖上にまたがる閑静な住宅地です。音羽グループ(出版社の講談社・光文社、キングレコード等)の本拠地で、鳩山一郎元首相邸を記念館にした鳩山会館があり、近隣には5代将軍徳川綱吉が生母の桂昌院(3代将軍家光の側室)からの願いで建立した護国寺(文京区大塚)があります。この地区は、1697年(元禄10年)
岩手県中西部の花巻(はなまき)市は1954年(昭和29年)に稗貫(ひえぬき)郡花巻町及び5村合併で発足の旧・花巻市が、昭和中期2回の近隣編入を経て2006年(平成18年)に稗貫郡2町・和賀郡1町と合併して現市となりました。地名由来には、名馬"花の牧"産出牧場説・水深く渦成す北上川水面に浮かぶ春の花説・アイヌ語"パナ(川下に開けた土地)"説・川が合流する三角州
昭和中期に埋め立てられた京橋川に架かっていた"京橋"に由来する中央区京橋は、旧日本橋区と合併し中央区になるまで、銀座地区を含む旧京橋区の中心でした。今も銀座への北の入り口として、大手企業本社も多いビジネス街の中に、老舗の飲食店・和菓子店・食品店などが残っています。 1921年創業、鳥の小売りから始まり焼き鳥屋へと転身した 伊勢廣 京橋駅から3分、東京駅からでも5分強の場所にある
江戸時代には大名屋敷や南町奉行所などがあり、戦国大名で茶人の織田有楽齋(織田長益)の屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことに由来する千代田区有楽町。昭和32年には百貨店のそごうが大阪から進出してJR有楽町駅前に東京店を開業し(平成12年閉店)、そのCMソング『有楽町で逢いましょう』で町の名が全国に広まり、昭和40年にはJR有楽町駅前再開発で東京交通会館が開業しています。昭和末期から平成中期にかけての駅周
江戸時代に置かれた銀貨幣鋳造所(銀座)に地名を由来する中央区銀座は、明治時代に文明開化を象徴する町として銀座煉瓦街が建設されて栄えてきました。現在の銀座8丁目付近で芸妓能楽師に因んで称された金春(こんぱる)芸者で賑わった幕末からの花柳界が、明治政府高官などの贔屓により新橋花街として江戸時代以来の柳橋(現・台東区)と共に「柳新二橋」と称し発展し、昭和中期の最盛期を経て今も中央区築地にかけて10軒以上
江戸時代には後に浅草裏手に移転するまでは吉原遊郭があり、その後は浅草に芝居小屋が集められるまで歌舞伎の中村座・市村座や人形芝居の結城座などがあった中央区日本橋人形町。人形を制作・販売する店が並び、人形遣いが多く住んでいたことが地名の由来だといわれています。永らく芳町花街として栄えてきた一帯には老舗が多く残っており、人形町通りや甘酒横丁を中心に老舗の飲食店や和菓子店や食品店などが連なっています。 1
洋菓子店の中にも100年以上の歴史を持つ店舗が神田淡路町にあります。普段使いが出来る老舗洋菓子店、それが近江洋菓子店です。 1884年創業、アップルパイが有名な近江洋菓子店 近江洋菓子店は、1884年創業と長い歴史を持つ洋菓子店です。初代の平三郎氏が三重の桑名より上京し、奥さんの故郷彦根であったこともあり、近江屋と名付けて創業されたそうです(滋賀県の彦根は近江商人の出身地)。商売は炭屋からスタート
JR高田馬場駅にかけて広く早稲田と呼ばれている一帯は、古くは大部分が水田の農村地帯でしたが、1882年(明治15年)に早稲田大学の前身である東京専門学校の開学により文教地区・学生街として発展。新宿区西早稲田には、江戸時代には三代将軍・徳川家光が設置した旗本達の馬術訓練等のための馬場があり、高田馬場の地名の由来ともなっています。町には早稲田大学の本部キャンパスや関連施設が立地しており、複数の専門学校
およそ400年前に県名の由来となった、東海道五十三次3番目の宿場 神奈川宿が設置された横浜市神奈川区。浦島太郎両親の墓があるとの伝説でも知られています。多くの買物客で賑わう市内最長の大口通商店街や、戦前から続く六角橋商店街をはじめ、区内には何軒かの老舗が存在しています。 1918年創業、東神奈川駅構内の立ち食い蕎麦屋 日栄軒 横浜駅からJRで東京方面へ一駅の場所にある 東神奈川駅。この東神奈川駅構
千代田区神田須田町は、元々は神田川沿いの砂州に開かれた農地の洲田に由来します。江戸時代から神田川・日本橋川などの運河に挟まれた交通の要所で、明治以降も昭和後期頃までは日本橋・上野方面への都電(旧東京市電、路面電車)ターミナルとして賑わい、大正初年には赤煉瓦造りの万世橋駅(平成中期までは跡地が交通博物館)が中央線(旧甲武電車)の起点として開通して発展し、昭和中期~後期頃までは国内有数の羅紗(毛織物の
江戸時代初期から開発が進み、京都・室町に町名を由来するとされる日本橋室町。魚市場発祥の地でもあり、呉服問屋などが店を構えた江戸最大の大繁華街でした。大小の企業が立地するビジネス街の中に、老舗の飲食店や商店が数多く残っております。 1850年創業、料理屋として創業し折り詰め弁当屋へと転業した 日本橋弁松総本店 三越駅前から徒歩4分ほどの場所にある 日本橋弁松総本店。弁松さんは1810年(文化7年)に
広島県廿日市(はつかいち)市は、昭和末期に旧佐伯郡廿日市町が市となり、平成中期に宮島町等を編入して現容となり、日本三景の一つで世界遺産の厳島神社(安芸の宮島)で知られています。鎌倉時代中期頃から年4回の厳島神社祭礼最終日の20日に(現市名の由来となる)"廿日の市"が立ち始めました。宮島地区は宮島細工・しゃもじ・もみじ饅頭で知られています。昭和後期以降は広島市の西のベッドタウンと
静岡県西部でかつて遠江国(とおとうみのくに)に含まれていた浜松市。古代には津(港・渡し場)由来とされる"濱津(はまつ)"と称されていましたが"はままつ"となった経緯は不詳です。創業地である本田技研工業の浜松製作所・スズキ本社工場やヤマハ・カワイ・ローランドの楽器メーカーが立地する工業都市で、江戸期から盛んな綿織物では全国有数の浴衣生産地です。米・茶・蜜柑・青
浅草は、都内最古の寺である金龍山浅草寺の門前町として古くから栄えた街。江戸時代には多くの武士・商人や文人墨客などが浅草に集まって江戸文化を育んできました。明治になって六区画(一時期は七区画)の浅草公園となって、六区は劇場や映画館などが林立して興行街として多くの人を集めて繁栄し、現在も全国各地や海外からの観光客で連日賑わっています。浅草の各所には食堂から料理屋までの各種飲食店や和菓子・食品店などの老
富山県の県庁所在地である富山市は、2005年(平成17年)に旧・富山市と6町村とが合併して発足しました。47都道府県庁所在地中2位の総面積は県の約3割で、1市町村が都道府県に占める割合では全国一となっています。米・梨・葡萄・イチジク等の農産物や富山湾のホタルイカ・シラエビ・ズワイガニ・寒鰤等の豊富な魚介類が特産です。かつては神通川に遡上していた鱒による鱒寿司が名産で、市内には多数の製造・販売店があ
葛飾区中西部で中川西岸の立石(たていし)には、区役所・警察署・税務署・かつしかシンフォニーヒルズ(文化会館)等が立地しています。立石の地名は児童公園片隅の祠内(立石八丁目)に鎮座している"立石様"(江戸時代は地表より数十㎝で現在は数㎝立っている石)に由来します。大正初期以降のセルロイド工場集積を嚆矢とする玩具産業が隣町の青戸にかけて発達してきて、現在はタカラトミー本社が立地して
三重県東部の伊勢市は、神宮(伊勢神宮)の鳥居前町として古代から発達してきた都市。江戸時代には"お蔭参り(おかげまいり)、お伊勢まいり"で全国から参拝者を集め今も多くの人で賑わっています。神宮の主祭神は内宮(ないくう)の皇室の氏神・天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と外宮(げくう)の衣食住の守り神・豊受大御神(とようけのおおみかみ)です。他にも二見浦(夫婦岩)・猿田彦
※2020年1月31日をもって閉店されました※ 文京区湯島はかつて湯島郷と称され、地名の由来には、江戸時代以前には不忍池(しのばずのいけ、台東区上野公園)が海と繋がっていたらしく海からは島のように見えた等の諸説がありますが真偽は不明です。江戸幕府の学問の府だった湯島聖堂・合格祈願の受験生で賑わう湯島天満宮・春日局墓所の麟祥院等の名所が点在しています。東京医科歯科大学及び付属病院が所在し、近隣の文京
東京には名物になるお土産的なものが沢山あります。そのため、帰省する時やどこかにお土産を持っていく際に、「どれにしようかな」と悩むことが多いんですが、日持ちをしなくても大丈夫な場合のチョイスは、だいたい舟和の芋ようかんにするぐらい、舟和さんの芋ようかんが好きです。そんな舟和さんの本店へ伺いました。 1902年創業、芋ようかんといえば舟和 浅草に複数の店舗を構えられている舟和さんは、明治35年(190
※2020年4月20日閉店と、公式サイトで発表されています。 毎度ご利用いただき誠にありがとうございます。 「歌舞伎と共に今に伝える江戸の味」を信念に、 百五十二年、多くのお客様にご愛顧いただきま したが、諸般の事情により四月二十日をもって 閉店することにいたしました。 --------以下、元記事です-------- 江戸時代に置かれた銀貨幣鋳造所(銀座)に地名を由来する中央区銀座は、明治時代に
かつて流れていた汐留川に架かっていた新橋に由来する港区新橋は、1872年(明治5年)に日本で初めて開通した鉄道の起点・新橋駅(後の汐留貨物駅)が開設され発展を遂げました。現在はサラリーマンの街として知られ、多数のオフィスビルが林立し庶民的な飲食店が建ち並ぶ中に、老舗の飲食店・和洋菓子店・食品店などが数多く残っています。 1909年創業、三島由紀夫が最後の晩餐の地 末げん 新橋駅から徒歩3分ほどの場
墨田区東向島はかつて旧・寺島町の一部であり茄子栽培で知られた農業地。5~6丁目界隈には1958年(昭和33年)まで、大正中期頃の銘酒屋(酒場を装った私娼店)に始まる私娼窟・玉の井(たまのい)があり永井荷風・小説『濹東綺譚』や滝田ゆう・漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られています。東武鉄道東向島駅は1987年(昭和62年)に玉ノ井駅から改称されましたが駅名標には旧玉ノ井と表示されています。3丁目の都
荒川区南千住は、江戸時代に品川・四谷内藤新宿・板橋と共に江戸四宿の一つ として栄えた千住宿(日光街道の江戸を発って最初の宿場町)が拡大して加え られた南宿(下宿)が起源です。JR南千住駅西側には、江戸時代から明治初 期に小塚原刑場がありました。明治時代以降、隅田川の舟運と鉄道貨物基地の 陸運を接続する物流の要所の一つであり、大日本紡績(ニチボウ、現・ユニチ カ)と旧・鐘淵紡績(カネボウ)の2大工場