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田丸 雑学堂 Profile
田丸 雑学堂

@NoboruTama0505

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将棋棋士の田丸昇(九段)です。約50年の棋士人生で得た経験や知識を基に、将棋界の情報や裏話、雑学などを書きます。私が関心を持つ将棋以外の分野をたまに題材にします。若い頃に撮った写真や所有している写真も載せます。コメントをお待ちしています。

東京都
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
3 months
今年の将棋連盟総会に藤井聡太八冠が初めて出席し、中央の最前列に座った。隣は永世名人の谷川浩司。藤井は質疑応答で、対局前の荷物検査に関連する遅刻規定について質問し、理事から棋士たちが並んで10時に遅れた事例はないと説明された。なお、藤井が八冠在位の期間は将棋会館で対局する機会はない。
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田丸 雑学堂
3 months
将棋連盟総会は13時に始まり、議長の手際よい進行で今年は16時前に閉会した。昔は議論がもつれて深夜に及んだこともあった。「下級棋士は黙れ」「将棋が強ければ何をやってもいいのか」と言い合う場面も生じた。理事会は紛糾すると休憩を入れ、棋士たちに封筒(協力金が在中)を渡してその場を治めた。
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田丸 雑学堂
3 months
写真は、田丸と弟子の小高佐季子(右)。小高は公式戦の対局、将棋イベント出演、NHK杯戦の記録係など、幅広く活動している。私は弟子に対して放任主義。節目(いい将棋を指した、好成績を挙げたなど)のときに、メールを送って激励している。今後は、小高の何かの表彰式で師匠として同席したいものだ。
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田丸 雑学堂
3 months
日本将棋連盟の通常総会が6月7日に都内ホールで開かれた。会長の羽生善治は東西の将棋会館建設に向けて、順調に進捗していると報告した。2023年度の決算も「藤井人気」を反映して全体に良かった。羽生は決算書を基に数字を並べて説明したが(例年は会計士が担当)、とても分かりやすくて簡潔だった。
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田丸 雑学堂
2 months
村山聖は1998年8月8日、進行性膀胱ガンで29歳で死去した(追贈九段)。村山の後見人でもあった大崎は、将棋一筋に生きた村山の無垢な人生を著すために、2000年2月に「聖の青春」を刊行した。感動的な内容は絶賛され、ある文芸評論家は「泣きながら書評を書いたのはこの作品が初めて」と語った。
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田丸 雑学堂
11 days
日本将棋連盟は1924年(大正13)に創立して以来、9月8日で100周年を迎えた。それを記念する式典と祝賀会が東京都千代田区「帝国ホテル」で盛大に開催された。約250人の棋士、女流棋士らが出席し、多くの棋界関係者や将棋ファンなどと喜びを分かち合った。写真は、一堂に会した光景で壮観だった。
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田丸 雑学堂
11 days
女流棋士は50人以上が出席した。中でも緑色の生地に花柄というあでやかな和服姿で注目されたのは、写真の西山朋佳女流三冠。この2日後の9月10日には、「棋士編入試験」第1局で高橋佑二郎四段と対戦する。初の女性棋士を目指して奮闘してほしい。
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田丸 雑学堂
3 months
現在の将棋会館の建設資金は、将棋に理解を寄せる企業団体や将棋ファンの寄付によって支えられた。中堅棋士の剱持松ニが長年にわたって指導していた三菱電機からも多額の寄付金が贈られた。将棋連盟は謝意として、会館4階の一室に「高雄」と名付けた。三菱は当時、同名のテレビを発売していた。
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田丸 雑学堂
2 months
大崎善生の「聖の青春」の刊行によって意外な展開となった。2000年11月に田丸は、大崎と将棋連盟から「将棋世界」編集長を要請された。私は突然の話に驚いたが、稀有な機会なので受諾した。01年2月に大崎は作家に転身して執筆に専念し、私は編集長に就いた。大崎は、私の幅広い人脈に期待したようだ。
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田丸 雑学堂
11 days
写真は、田丸の弟子の小高左季子女流初段。藤井聡太と同年生まれの22歳で、今ではお酒を楽しめるようになった。好きなドリンクはレモンサワー。仲良しの女流棋士と女子会をよく開いているという。今後は、師匠が同席する何かの祝賀会で一緒にお酒を飲むたいものだ。
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田丸 雑学堂
6 months
降級点やフリークラス制で棋士生命は延びた。将棋ファンの中には「勝負の世界なのに厳しさに欠ける」との声もある。ただ日本将棋連盟の定款には「将棋の普及発展を図る」の条文がある。その目的を達成する事業が棋戦の主催、アマへの普及活動、棋書の発行など。棋士の存在意義は対局がすべてではない。
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田丸 雑学堂
5 months
「ピンピンコロリ」との言葉がある。ピンピンと健康に生きて、コロリと死ぬという意味。田丸の場合、将棋盤の升目と同じ81歳の「盤寿」までは元気に生きたい。写真は、97歳の母親と74歳の田丸。母親より先に死ねない、という思いを今後も持ち続けたい。それにしても近年は顔が母親に似てきたようだ。
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田丸 雑学堂
2 months
大崎善生の「聖の青春」は2016年に映画化された(配給Kadokawa)。主な配役は村山聖(松山ケンイチ)、羽生善治(東出昌大)、森信雄(リリー・フランキー)、母親(竹下景子)。松山(写真左)は体重を増やして村山の顔に似せた。東出(同右)のメガネは羽生から借用した。田丸は祝賀会の場面で竹下の隣に立った。
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田丸 雑学堂
3 months
将棋連盟総会の新四段の自己紹介で高橋佑二郎は「師匠(加瀬純一)にまず感謝します。カラオケ好きの師匠のように自分もうまく歌いたい」と言うと、サザンオールスターズの「真夏の果実」を歌い出した。途中では手拍子を求め、歌い終わると棋士たちからアンコールの声が上がった。前代未聞の光景だった。
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田丸 雑学堂
10 months
写真(田丸撮影)は、1974年の秋に東京・市ヶ谷の日本棋院で行われた囲碁団体戦の対局光景。升田幸三(実力制第四代名人・右)、大山康晴(十五世名人・2人目)らは、日本将棋連盟チームとして参加した。大山、升田がこうして並ぶ姿は珍しい。両者は囲碁が大好きで、アマ五段以上の実力があった。
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田丸 雑学堂
6 months
棋士の最高段位は九段。以前に十段というタイトルがあったが段位ではない。正直なところ、永世称号の棋士やタイトル経験者の棋士と、唯一の実績がA級1期の田丸が同じ九段というのは引け目を感じる。十段の段位を設けてほしい。将棋界を知らない初対面の人には「九段(下)の田丸」と地名で挨拶する。
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田丸 雑学堂
2 months
大崎善生は2022年にステージ4の下咽頭ガンと診断されて声帯を削除。闘病中の昨年10月には藤井聡太八冠誕生が励みとなり、11月の藤井王位就位式に出席した。妻で女流棋士の高橋和が代読する形で祝辞を述べ、「1年目は何とか生き延びました。2年目を目指します」と結んだ。そして今年8月に旅立った。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
2 months
大崎善生は「将棋世界」編集長として辣腕を振るって誌面を活性化。1996年に達成された「羽生七冠」の好影響もあって部数は伸びた。大崎は大阪の森信雄七段と親しく、弟子の村山聖八段が東京に移ったときは、森に頼まれて何かと世話をした。村山は大崎に全幅の信頼を寄せ、部屋の鍵、貯金通帳を預けた。
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田丸 雑学堂
11 days
写真は、獺ケ口笑保人(おそがぐち・えほと=24)新四段。将棋連盟祝賀会の前日の9月7日に行われた奨励会三段リーグ最終日で、四段に昇段したばかりのほやほやの棋士だ。群馬大学医学部の4年生で、将来は医師免許を取得して棋士との「二刀流」を目指すという。異色の新人の活躍に期待したい。
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田丸 雑学堂
7 months
日本将棋連盟は昔から「大家族主義」である。四段になれば最低保障(年間400万円?)で扶養する。原則として引退は約65歳で、棋士生命も長い(田丸は66歳で引退)。勝負の世界なのに、最低保障と長期雇用になっている。新聞社などとの棋戦契約金が安定しているから可能だが、将来のことは分からない……。
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田丸 雑学堂
2 months
「聖の青春」で知られる作家の大崎善生が8月3日、下咽頭ガンで66歳で死去した。大崎は北海道札幌市出身。1982年に将棋連盟に就職し、「将棋マガジン」や「将棋世界」編集部に配属された。田丸が連盟の出版担当理事だった1991年の秋、大崎を将棋世界編集長に選任した。編集者としての力量を評価した。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
6 months
2001年の将棋連盟総会で、普段はほとんど発言しない加藤一二三が「私は九段に昇段してから700勝以上し、通算勝利は1200勝に達しました。1000勝している有吉(道夫)さんや内藤(國雄)さんのためにも、新しい肩書を与えてほしいと希望します。具体的には十段昇段規定を提案します」と語って注目された。
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田丸 雑学堂
3 months
女流棋士パーティーには将棋連盟会長の羽生善治も出席し、「女流棋界は50年間で規模も実力も大きく伸びました。それは将棋ファンの応援の賜物でもあります」と挨拶した。2007年から女流棋士団体は2つに分かれ、普及面でともに切磋琢磨している。いずれは統合してほしいと、田丸は個人的に思っている。
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田丸 雑学堂
3 months
「将棋連盟総会の記事についていくつか補足する」 藤井聡太八冠は在位中に将棋会館で対局する機会はないと書いたが、新会館に銀河戦の対局スタジオは併設(現会館にも)されるので、会館での対局はいずれ行われる。新会館での対局は来年から始まる。タイトル戦の対局も記念企画として行われると思う。
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田丸 雑学堂
2 months
村山聖��「東の羽生、西の村山」と称されるほど才能が豊かだった。終盤がかなり強く「終盤は村山に聞け」の言葉が広まった。ただ少年時代から腎臓疾患によって入退院を繰り返していた。死と隣り合わせの日々だった。1998年に順位戦でA級に復帰。目標の名人への道が開かれたとき、病魔に再び襲われた。
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田丸 雑学堂
10 months
2016年3月の三段リーグ最終日で、井出隼平は昇段争いで7番手だった。しかし昇段候補が次々と敗れ、井出が2連勝して12勝6敗の成績を挙げると2番手になった。さらに1番手も敗れ、井出は1%に満たない確率で四段に昇段した。写真は、当日夜の師弟。井出は夢現(うつつ)のような心境だった。
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田丸 雑学堂
7 months
藤井聡太は2023年の賞金・対局料で1億8634円を獲得した。ただ「ハ冠制覇」という偉業に適正な金額だろうか? 野球、サッカー、テニスなど世界のプロスポーツでは、年間10億円以上の選手は珍しくない。高額の放送権料、世界的企業の広告宣伝費、何万人もの入場者料が原資だ。では将棋界の場合は……。
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田丸 雑学堂
10 months
田丸の弟子の井出隼平五段は、9月に日本プロ麻雀協会に入ってプロ雀士となった。鈴木大介九段に次いで、将棋と麻雀の「二刀流」を目指す。井出は、両方の相乗効果で発展したいという。当面は順位戦でC級1組昇級と、麻雀の天鳳位が目標とのこと。師匠としては、井出が考え抜いた生き方を尊重したい。
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田丸 雑学堂
3 months
将棋連盟総会の冒頭では、新四段の棋士(前年度は4人)が自己紹介で何か一言を述べる。宮嶋健太「多方面で活躍したい」、上野裕寿「兵庫県加古川市出身棋士は自分が7人目。忘れられないようにしたい」、山川泰熙「宮城県出身なので東北地方の普及に努めたい」。もう1人の高橋佑二郎はユニークだった。
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田丸 雑学堂
8 months
1996年の王将戦第4局で羽生善治に敗れた谷川浩司は、打ち上げの途中で山口県の対局場を後にして、新幹線に乗って神戸に帰った。車中では「私はまだ33歳。タイトル獲得の機会はあるはずだが、このまま立ち直れないのではないか‥‥」と思ったという。しかし同年の秋、谷川は羽生から竜王を奪取した。
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8 months
1995年の王将戦では羽生善治六冠の「七冠制覇」が期待されたが、大震災で被災した谷川浩司王将を応援する声が高まり、谷川はそんな空気に押されて奮闘。4勝3敗で王将を死守した。翌日に関西の空港に着くと、「王将防衛おめでとう」の横断幕が掲げられていた。被災地にいた者同士の連帯感でもあった。
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5 months
加藤一二三は中原誠に20連敗した時期があったが、決してめげなかった。攻めが強い中原に対して、それ以上に鋭く攻めることを心がけると、タイトル戦で中原を打倒して苦手意識を払拭した。そして、クリスチャンの加藤は教会のミサで神秘的な経験をして、「いつの日か名人になれる」と強く思ったという。
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田丸 雑学堂
8 months
1996年の王将戦で羽生善治六冠が谷川浩司王将を4連勝で破り、前人未踏の「七冠制覇」を達成。報道陣が羽生に称賛の質問をする中で、谷川は不本意な内容に終わった投了局面を見ていた。谷川は打ち上げに30分出たが、自分がいない方が宴が盛り上がると考え、羽生にお祝いを言ってから対局場を後にした。
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田丸 雑学堂
2 months
大山康晴の死後、大山夫人と升田幸三夫人が会う機会があった。生前は両家の付き合いはほとんどなく、両夫人は夫から悪口を聞かされていた。その場ではしみじみと語り合い、故人を偲んだ。将棋連盟は、将棋の普及に尽力した人に「大山康晴賞」、創造的な将棋を指した棋士に「升田幸三賞」を贈っている。
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田丸 雑学堂
3 months
田丸が最も尊敬する棋士は山田道美(写真)だ。1960年代にタイトル独占で無敵だった大山康晴(十五世名人)に、タイトル戦で敢然と立ち向かった。将棋の研究に没頭して「将棋博士」と呼ばれた。棋士同士で研究しなかった昭和中期、山田は共同で研究会を開いた。それが現代棋界の勉強法の草分けとなった。
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田丸 雑学堂
7 months
日本将棋連盟が発表した2023年の獲得賞金・対局料の1位は、八冠制覇を達成した藤井聡太の1億8634万円。羽生善治が1995年に獲得した1億6597万円を更新した。羽生は96年に王将の獲得で七冠制覇を達成。王将賞金に叡王(当時はない)賞金を仮に含めると、藤井の獲得額は27年前と同じ水準なのが現状だ。
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田丸 雑学堂
7 months
日本将棋連盟の主な財源は、新聞社、テレビ局、企業などとの棋戦契約金。その内訳は優勝賞金(10〜20%)、ほかの賞金、対局料、運営費など。公益法人の連盟は、優勝賞金を大盤振る舞いして赤字にはできず、プロ野球のように親会社の後援もない。現行の賞金・対局料の水準は、身の丈に合った経営による。
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田丸 雑学堂
3 months
写真は、白玲、女王、女流王将のタイトルを持つ西山朋佳。振り飛車を駆使した豪快な棋風は「暴れ馬」の異名がある。奨励会に以前に在籍し、三段リーグで14勝4敗の好成績を挙げたが四段昇段は成らなかった。その悔しさを晴らす機会が来るかもしれない。プロ公式戦で棋士に数多く勝っているからだ‥‥。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
10 months
井出は2016年4月に24歳で棋士になった。半年後に加古川青流戦で初優勝し、翌年に同棋戦で藤井聡太四段に勝った。アベマTVの将棋番組では気さくな解説が好評で、「イデオン」の愛称で人気がある。田丸は師匠として、井出のさらなる活躍を願っていたが、今年の秋に意外なことになった。
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田丸 雑学堂
2 months
大崎善生は「聖の青春」のほかに、奨励会退会者に暖かい心情を寄せた「将棋の子」、初の小説「パイロットフィッシュ」など、刊行した作品はいずれも好評で、新潮学芸賞、吉川英治文学新人賞などを受賞した。私生活では2003年に、以前から交際していた19歳年下の女流棋士の高橋和と結婚した。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
8 months
田中角栄は「今太閤」として人気を博したが、ロッキード事件で逮捕されて政界の表舞台から退いた。そんな時期に中原誠、芹沢博文、田中寅彦らの棋士が目白御殿をよく訪れ、無聊気味の角栄に将棋を教えた。角栄は猛烈な早指しで攻めっ気が強く、中央突破の中飛車を好んだ。棋力は初段くらいだという。
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田丸 雑学堂
7 months
昔の三段リーグも今の三段リーグも、四段昇段者の倍率は約20人に1人と厳しい。今期三段リーグの出場者は45人で、競争原理を超えて異常だ。私見では、一定の人数以上なら四段昇段者を1人増やすべきだと思う。それには棋士たちの基本収入が少し減っても必要という、大所高所の考えが不可欠だが……。
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田丸 雑学堂
5 months
田丸の74歳バースデー(5月5日)への祝福コメント、ありがとうございました。また、97歳の母親に「お若い」「そのお年に見えない」のコメントは、息子として嬉しく思います。母親は72歳の娘の家族たちと一緒に暮らし、穏やかな余生を送っています。今年の春には玄孫(やしゃご)の女の子が生まれました。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
5 months
伊藤匠が2020年秋に四段昇段で棋士になったとき、同学年の藤井聡太は二冠(棋聖・王位)を獲得していた。伊藤は「彼(藤井)はいつも勝っていて、自分が情けなく思った。今はだいぶ離されているが、いつかタイトル戦で対戦したい」と、奨励会時代の思いを語った。それから3年後の昨年に竜王戦で挑戦した。
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田丸 雑学堂
2 months
升田幸三実力制第四代名人がNHK杯戦の解説者を務めたとき、大盤の前から急に姿を消したことがあった。昼間でもお湯割り焼酎を飲んだので、用を足したくなったようだ。取り残された司会者の永井英明さんは升田が戻ってくるまでの10分間、独りで話して何とか取り繕ったが、困惑気味の表情が面白かった。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
7 months
田丸が提案した四段昇段者の増員について、「2ch名人」に賛否両論のコメントが寄せられた。私の本意は、厳しい制度の壁で有能な若者が埋もれることを危惧したものだ。デビュー戦から29連勝した藤井聡太は、三段リーグでは13勝5敗で、圧倒的に強かったわけではない。公式戦で鍛練して実力を伸ばした。
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田丸 雑学堂
10 months
羽生善治は1994年に米長邦雄名人を破り、新名人に23歳でなった。写真(田丸撮影)は、同年8月の名人就位式。将棋連盟会長で師匠の二���達也から推戴状を授与された。当時五冠の羽生は「名人は一番の目標でしたが、棋士として人間としても、これから中盤戦に入るところです」と挨拶した。
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田丸 雑学堂
3 months
昔の将棋連盟総会では、理事会は棋士たちに普及協力金などを休憩の際に渡した。議事が行き詰まったときの緩和策でもあった。2011年に連盟が公益社団法人に認定されてからは、不労所得として廃止されている。何か支払いが生じたとしても、手渡しの現金払いではなくて銀行振り込みに一本化されている。
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田丸 雑学堂
4 months
タイトル戦では定例の対局場、公募で選ばれた対局場、◯◯周年記念の対局場が番勝負の前半に行われる。後半の対局場(7番勝負は第6局、第7局。5番勝負は第5局)は行われないことがある。山梨県甲府市「常磐ホテル」、山形県天童市「天童ホテル」はそれを承知で引き受けていて、主催者にはありがたい。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
10 months
真部一男はC2順位戦で豊島将之と対局し、序盤で絶妙手の△4ニ角を読んでいた。それを指すと豊島の長考が予想され、体が持たないと思って昼食休憩の前に投了した。入院中に弟子の小林宏にその手を言うと、「いい手ですね」と称賛された。豊島戦から1ヵ月後の2007年11月24日、真部は55歳で死去した。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
8 months
王将戦第2局は挑戦者の菅井竜也が1日目に悪手を指して不利となり、藤井聡太が勝って2連勝した。終局は2日目の15時26分。菅井は「封じ手の前に敗着を指してしまい、話にならない」とぶ然たる様子。20分の感想戦の後、菅井は16時30分に佐賀県の対局場を後にした。いたたまれない気持ちはよくわかる。
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田丸 雑学堂
8 months
棋士たちは阪神淡路大震災で多かれ少なかれ被害を受けた。谷川浩司は地域一帯にガス爆発の危険が生じたので近くの学校に避難した。18日夜は、おにぎり1個を夫妻で分けた。翌朝に夫人が運転する車で神戸から大阪に向かい、道路の渋滞で11時間もかかって大阪のホテルに何とか着いた。20日は対局だった。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
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大山康晴と升田幸三は宿命のライバルとして盤上で名勝負を繰り広げてきた。盤外では半目することも多々あったが、将棋連盟の重要問題に際しては手を携えて協力した。写真(田丸撮影)は、囲碁大会での光景。対局を終えた升田が大山の戦いを見守っている。ともに柔和な表情で、兄弟弟子の絆を感じられる。
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田丸 雑学堂
3 months
新理事会の副会長の大山康晴は将棋会館の建設に慎重だったが、日本船舶振興会(現・日本財団)からの助成金増額などの好条件によって推進派に変わった。将棋連盟は1974年9月に会館建設を正式に決定。そして、大山は全国を回って募金活動を精力的に展開した。1976年4月には現在の将棋会館が建設された。
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田丸 雑学堂
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将棋会館がある千駄ヶ谷の土地は徳川家の馬場跡だった。江戸時代末期に薩摩藩から将軍家に嫁いだ天璋院(大河ドラマ「篤姫」のヒロイン)は、江戸幕府が崩壊すると千駄ヶ谷の徳川宗家の屋敷で暮らした。千駄ヶ谷一帯は萱が多く生えていて、一日に千駄(一駄は36貫)の萱を刈り取ったのが地名の由来という。
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田丸 雑学堂
8 months
以上のエピソードのように大勝負での敗者の様子はさまざま。高橋道雄は自分に腹を立て、千駄ヶ谷の対局場から赤羽の自宅まで(約15キロ)、雨の中を歩いて帰ったことも。田丸は現役時代、結果に関係なく飲み屋に寄った。勝って「祝い酒」は楽しかった。負けたら「やけ酒」ではなく「やけ食い」をした。
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田丸 雑学堂
10 months
羽生善治は慈善イベントのサイン会で、300枚(事前に150枚を用意)もの色紙を2時間以上にわたって丁寧に書いた。鳥取から飛行機で東京に来た3人連れの女性は、目の前の羽生を初めて見て大感激していた。羽生の著書「羽生の頭脳」を買ったけど、まだ理解できないという女子高生には「努力」と揮毫した。
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@NoboruTama0505
田丸 雑学堂
3 months
1974年の臨時総会で大山康晴と升田幸三が理事会に総辞職を要求すると、会長の加藤治郎は「連盟が分裂する事態は避けたい。今後のことは新体制に一任する」と受け入れた。そして会長に塚田正夫、副会長に大山、中原誠らの新体制に変わった。ただ選挙を経なかったので「クーデター」と批判する声が出た。
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田丸 雑学堂
4 months
1978年から81年までの2年半、中原誠と米長邦雄はタイトル戦で9シリーズも対決した。両者は毎週のように顔を合わせたので、米長は「中原さんと一緒にいる時間がカミさんより多い」と苦笑した。写真は、あるタイトル戦の2日目の光景。中原の封じ手が意外だったのか、米長はわざと驚いた表情を見せた。
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田丸 雑学堂
8 months
1月20日に谷川浩司王将はA級順位戦で米長邦雄九段と関西将棋会館で対局。大震災による惨状を見て、将棋を指すことに後ろめたさを感じたが、盤の前に座ると指せるだけで幸せと思った。谷川は1月からの王将戦で羽生善治六冠の挑戦を受けていた。羽生が奪取すれば前人未到の「七冠制覇」が達成される。
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田丸 雑学堂
3 months
写真・右は加藤圭、左は磯谷祐維。加藤は大学院修了後の24歳で女流棋士を目指した晩学だったが、独自の勝負術で頭角を現わした。白玲戦ではA級に在籍。磯谷は昨年9月に20歳で女流棋士になり、Y AM ADA杯で早くも初優勝した。率直な物言いと金髪に特徴がある。個性派棋士の両者の活躍に期待したい。
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田丸 雑学堂
3 months
現在の将棋会館は1976年4月に建設され、5月に名人戦(中原誠名人ー米長邦雄八段)第3局が新会館で行われた。立会人を初めて務めたのは升田幸三九段。2日目の封じ手開封で「僕がサインした封じ手の封筒は最初で最後。将来に『升田記念館』ができたら納めんならん」と言うと、両対局者は笑顔になった。
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田丸 雑学堂
6 months
2023年度の将棋大賞で、18歳の最年少棋士の藤本渚が新人賞を受賞。藤本は勝率が0.850で2位(1位は藤井聡太の0.851).勝利数は51勝で伊藤匠と並んで1位。新人賞は一流棋士への登竜門だ。過去50人のうち35人がタイトル戦に登場し、23人がタイトルを獲得した。藤本が藤井に挑戦する日は遠くないと思う。
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田丸 雑学堂
3 months
現在の将棋会館は、将棋連盟副会長の大山康晴が全国各地を回って募金活動を精力的に展開したことで建設に至った。理事の米長邦雄はそんな大山を、「カツラの先生(米長の説によると大山の光頭はカツラで、下には黒い毛髪が生えているという)が頭に湯気を上げて頑張っている」と、ユーモラスに表現した。
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田丸 雑学堂
6 months
NHK杯戦の対局は放送日の半月ほど前の月曜日(隔週)に、午前・午後に2本分が収録される。間の週は囲碁対局の収録日。午前の場合、渋谷のNHK放送センターの控室に対局者らが10時に集合。ただ対局の開始時間ではない。スタジオで収録が始まるのは約30分後。このタイムラグで以前は遅刻する棋士がいた。
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田丸 雑学堂
3 months
山田道美はA級棋士のまま36歳の若さで天に召された。存命してずっと活躍していたら、以後の将棋界は大きく変わっただろう。しかし、現代の棋士たちが用いる「研究会」システムの先駆者で、合理的な精神は引き継がれている。写真は、田丸が2013年に刊行した「熱血の棋士 山田道美伝」(日本将棋連盟)。
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田丸 雑学堂
9 months
不世出の大棋士・米長邦雄(永世棋聖)は11年前の2012年12月18日、前立腺ガンのため69歳で死去した。「泥沼流」という勝負術を駆使して最年長記録の50歳で名人を獲得、日本将棋連盟会長として将棋の普及や将棋ソフトを発展など、立派な功績を挙げた。弟弟子の田丸が米長の人生を8回にわたって振り返る。
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田丸 雑学堂
3 months
1974年10月、女流棋士制度が発足した。写真(田丸撮影)は旧将棋会館で並んだ女流棋士たち。左から関根紀代子、蛸島彰子、多田佳子など。元奨励会員の蛸島、女流アマ棋戦で活躍した女性たちが認定された。公式戦の日程を決める手合係だった田丸(当時五段)は、創設された女流プロ名人戦の進行に関わった。
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田丸 雑学堂
24 days
1976年4月、現在の5階建てビルの将棋会館が建設された。それから48年、ほぼフル稼働して今日に至っている。工事や補修を重ねてまさに満身創痍だが、ある業者は「元気なおじいちゃん」と評した。田丸は2001年から03年まで「将棋世界」編集長として、地下の編集部で業務をこなしたのが良い思い出だ。
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田丸 雑学堂
11 months
米長邦雄は山梨県から12歳で上京し、師匠の佐瀬勇次の自宅で内弟子をした。そのとき大好きな落語の本を持参した。米長は落語に影響を受け、対局中でも周囲を和ませるユーモアとサービス精神があった。写真(米長家提供)は、あるタイトル戦の光景。米長(左)は中原誠の封じ手に大げさな様子で驚いた。
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田丸 雑学堂
3 months
1970年6月8日。田丸は将棋会館の玄関前で山田道美を見かけた。軽く会釈すると、山田は笑いながら手を上げて応じてくれた。いつものように快活だったが、私が見た最期の姿となった。それから10日後に36歳で急逝した.健康管理に日頃から留意していた山田が難病で亡くなるとは、あまりにも理不尽だ。
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田丸 雑学堂
5 months
田丸の97歳の母親は、女手ひとつで2人の子どもを育て上げました。経済的にも大変だったようですが、そうした苦労を言わないのが偉いところで、何事も前向きに生きてきました。長年にわたって72歳の娘と一緒に暮らしています。母娘同士の愛情に満ちた生活が長寿の基で、3年後には100歳を迎えます。
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田丸 雑学堂
8 months
29年前の1995年1月17日5時46分。兵庫県南部を震源とするマグニチュード7・3の大地震が起きた。最大震度7の阪神淡路大震災で、関西の多方面に建物倒壊や火事などの甚大な被害がもたらされ、死者は6000人以上に達した。将棋関係者では60代の詰将棋作家、棋士を目指す17歳の奨励会員が犠牲になった。
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田丸 雑学堂
4 months
米長邦雄は名人を獲得した感謝の思いを込めて、名人戦への心構えを教えてくれたタレントの大橋巨泉を都内の料理店に招待した。若手棋士たちも同席した。写真は左から、佐藤康光六段、羽生善治竜王、巨泉、米長、森下卓七段。巨泉は羽生らと歓談し、カラオケも歌う普通の青年なので安心したという。
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田丸 雑学堂
3 months
山田道美(九段)が A級棋士のまま、36歳で急逝したのは54年前の1970年。田丸の記事で山田のことを初めて知った、山田の著作を以前に読んだなど、読者はそれぞれだと思うが、アクセスが多かったのがとても嬉しい。時空を超えて感動と共感を呼んだといえる。山田の人生について、記事を追加して捕捉する。
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5 months
1950(昭和25)5月5日。田丸は長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)で生まれた。足が先に出る逆子の難産で、産婆は「運が良い子じゃ」と言ったという。朝5時に産声を上げたときに朝日が昇ったので、祖母は「昇」と名付けた。折から「鯉のぼり」も舞っていた。生年は「五黄の寅」で、運勢が強いそうだ。
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田丸 雑学堂
11 days
写真は、記念式典で来場者を迎えた歴代の将棋連盟会長と永世称号棋士。左から羽生善治、谷川浩司、佐藤康光、森内俊之。羽生会長は式典で「多くの方々のおかげで、将棋連盟100周年を迎えたことをうれしく思います。社会や将棋ファンとのつながりを大事にして、さらなる発展を目指します」と挨拶した。
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田丸 雑学堂
2 months
1988年度のNHK杯戦で羽生善治五段は、大山康晴十五世名人、加藤一二三九段、谷川浩司名人、中原誠棋聖らの名人経験者を4連破し、18歳で初優勝した。中でも加藤戦の終盤で放った「▲5ニ銀」の寄せの妙手は、今でも語り草になっている。羽生は1回戦から決勝までの全6局で、すべて違う戦法を用いた。
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田丸 雑学堂
7 months
「藤井聡太の人気が沸騰している現代、企業などとの新スポンサーを確保して日本将棋連盟の財政を豊かにする」という声がある。部数や広告料の低下で新聞社の経営が苦しい現状で重要な課題だ。それで増収すれば、棋士の収入が増え、新四段の増員も可能。将来に向けて、今や曲がり角に差し掛かっている。
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田丸 雑学堂
4 months
タイトル戦が早く決着したり、台風の影響で行われない対局が時にある。そんな場合、対局場が準備万端整えていても、主催者からキャンセル料は支払われない。ただ近年は藤井聡太が圧倒的成績でタイトルを獲得すると、行われなかった対局場に出向いて、大盤での自戦解説会や祝賀会に振り替える例が多い。
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田丸 雑学堂
4 months
5月8・9日の名人戦(藤井聡太名人ー豊島将之九段)第3局で藤井が勝って3連勝し、初防衛に王手をかけた。棒銀作戦から竜を作ってリードし、豊島の反撃を巧みに封じ込めた「受けつぶし」の指し方は、第一人者の風格が漂っていた。叡王戦(対伊藤匠七段)での2連敗から尾を引かない見事な内容だった。
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田丸 雑学堂
5 months
伊藤匠は藤井聡太に叡王戦第2局で勝つまで11連敗した。ただ勝負というものは、1局の勝利で潮目が変わることがある。第1局の内容も良く、第3局で連勝もありうる。同一カードの連敗記録では、加藤一二三は1969年から1976年までの8年間に、中原誠に何と20連敗もした。実力者同士では珍しい記録だ。
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田丸 雑学堂
10 months
田丸の弟子の井出隼平は、18歳で三段に昇段して有望だった。しかし三段リーグで壁に当たり、25歳の年齢制限が次第に迫ってきた。そこで「何かを変えてみるといい」とアドバイスした。井出は四間飛車専門だったが、居飛車も指すようになった。そして、2016年3月に「運命の日」を迎えた‥‥。
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田丸 雑学堂
10 months
1975年にNHKの特別対局で真部一男四段が中原誠名人に勝ち、放送後は真部人気に火がついた。時代劇「銭形平次」で主役の大川橋蔵と共演、女性誌で脚本家の向田邦子と対談、テレビ情報番組に出演など、盤上盤外で活躍した。写真(田丸撮影)の俳優のような容貌から「将棋���のプリンス」と呼ばれた。
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田丸 雑学堂
2 months
NHK杯戦の木村一基九段と西山朋佳女流三冠の対局(6月23日放送)は、西山の三間飛車に木村は居飛車穴熊の戦型。中盤は木村が有利に思えたが、西山が終盤に猛攻し、飛車を捨てて寄せ切った。「暴れ馬」の異名にふさわしい勝ち方だった。西山は3回目のNHK杯戦で初勝利し、次に藤井聡太七冠と対戦する。
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田丸 雑学堂
11 days
写真は、左から2人目は藤井聡太七冠、隣は伊藤匠叡王。先頃の叡王戦で激闘した両者がステージに立った光景は、新時代にふさわしいといえる。また名勝負を繰り広げてほしい。
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田丸 雑学堂
5 months
江戸幕府初代将軍の徳川家康は慶長17年(1612)に「将棋所」を設け、棋士たちに扶持を与えて庇護した。将棋連盟は400年後の2012年に「名人400年」の行事を開き、名人戦前夜祭に名人経験者が集まった。右から佐藤康光、加藤一二三、羽生善治、中原誠、森内俊之、米長邦雄、谷川浩司、丸山忠久。※撮影田丸
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田丸 雑学堂
5 months
2016年の名人戦第1局の前夜祭。右から清水市代女流六段、羽生善治名人、挑戦者の佐藤天彦八段、カロリーナ・ステチェンスカ女流3級。羽生は第1局に勝ったが、第2局で即詰みを逃したのが響き、1勝4敗で名人を失った。佐藤はクラシック音楽や西洋美術を愛好し、「貴族」の愛称がついた。※撮影田丸
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田丸 雑学堂
2 months
1952年の名人戦は木村義雄名人に大山康晴八段が挑戦し、大山が4勝1敗で破って29歳で新名人に就位。関西出身棋士の名人は初の例で、新聞は見出しで「名人の箱根越え」と表現した。木村は「良き後継者を得た」と語り、現役引退を47歳で表明した。写真は大山(左)と木村。◆大山シリーズは以降も続く。
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田丸 雑学堂
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2017年の田丸一門会での記念写真。左から、「クッシー」こと櫛田陽一七段、「タマリン」こと師匠の田丸昇九段、当時15歳の小高佐季子女流初段(愛称は? サッキーはどうかな)。「イデオン」ことプロ麻雀士でもある井出隼平五段。小さな一門ですが、応援をよろしくお願いします。
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田丸 雑学堂
6 months
3月17日に放送されたNHK杯戦決勝(藤井聡太ー佐々木勇気)は、大激闘の末に佐々木が勝って初優勝した。佐々木は研究した角換わり腰掛け銀で優勢になったが、藤井に終盤で巻き返されて形勢評価値は[2ー98]に落ちた。しかし藤井に珍しくミスが出て逆転。佐々木は「涙が出るほど嬉しい」と喜びを語った。
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真部一男は青年時代、筋肉隆々で壮健だった。ただ30代後半の頃、首が回らない原因不明の症状が生じた。それ以来、日々の生活が不自由となり、体調も良くなかった。2007年10月、田丸はC2順位戦の対局で真部と同室になり、憔悴しきった様子に驚いた。真部は昼食休憩の前に投了を告げた。
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田丸 雑学堂
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女流棋士発足50周年記念パーティーが6月16日に開かれた。日本将棋連盟(女流棋士会長・山田久美)と日本女子プロ将棋協会(代表理事・中倉宏美)に所属する54人の関東の女流棋士たちが一堂に会した。両者の合同開催は初めてで、後日に関西でも開かれる。都内ホールの会場には多くの将棋ファンが集まった。
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田丸 雑学堂
7 months
ある経済誌が2020年に「10年後に消える仕事、残る仕事」のテーマで各業種を選んだ。後者には、お笑い芸人、ユーチューバーのほかに将棋棋士が入った。藤井聡太の活躍と人気が理由だという。藤井のハ冠獲得で今の将棋界は活況を呈している。ただ棋戦契約金(タイトル賞金)が増額しないと本物ではない。
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田丸 雑学堂
7 months
田丸は1950年5月5日に生まれた。棋士としての誕生日は1972年2月22日。奨励会(棋士養成機関)の三段リーグの「東西決戦」の対局日で、当時21歳の田丸は酒井順吉に勝って四段に昇段し、晴れて棋士になることができた。写真(『将棋世界』誌より転載)は終局直後の光景。私は安堵の表情を思わず浮かべた。
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田丸 雑学堂
9 months
新年の1月5日。東西の将棋会館で「指し初め式」が行われる。東京ではそれに先立ち、千駄ヶ谷の会館の向かいの鳩森神社境内にある「将棋堂」(写真)の前で祈願祭が挙行される。将棋堂に安置された大きな駒には大山康晴十五世名人が揮毫した「王将」が書かれ、将棋の上達などを願った絵馬が裏側にある。
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田丸 雑学堂
5 months
藤井聡太と伊藤匠は小学3年のときにある大会の準決勝で対戦し、伊藤が勝つと藤井は大泣きした。それは負けたときのいつもの光景で、同伴した母親はじっと見守っていたという。後年に伊藤は「藤井を泣かせた」として有名になった。藤井より1年後に奨励会に入った伊藤は、四段昇段で4年も後れた。
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田丸 雑学堂
2 months
大山康晴は「A級から落ちたら引退する」と公言していた。1991年のA級順位戦最終戦では、大山が桐山清澄に敗れると降級が濃厚だったが、平静な様子で指していた。そして大山が勝ってA級残留を決めると、将棋会館の大盤解説会では大山の進退を心配したファンから拍手が巻き起こり、涙ぐむ人もいた。
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写真(田丸撮影)は、旧将棋会館の玄関脇に置かれた卓球台で、棋士たちがプレーする光景。左から桐山清澄、森安秀光、正幸(2人は兄弟)、野本虎次。その日は関西の棋士が多かった。歓声やボールの音が2階の対局室に響いたと思うが、文句を言う対局者はいなかった。当時は何かにつけて鷹揚だった。
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田丸 雑学堂
10 months
11月下旬に東京都・立川のイベント会場で行われた第1回「達人戦立川立飛杯」の公開対局は、素晴らしい設定だった。500人以上が入場できる大ホールで、将棋愛好家は壇上での真剣勝負を観戦できるうえに、奥に映った盤面を見ながら解説をイヤホンで聴けた。今後は、この形式が定着してほしい。
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