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あの夏

@DBo2750puu0hfu3

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日本酒愛好者🍶 大学時代は日・明・朝三国の武芸が修練されていた朝鮮の軍営「訓錬都監」について研究。 無言フォローさせていただく場合がございますが、もし不愉快でしたらどうかブロックしてください……  こちらは無言フォロー大歓迎です!

新潟
Joined October 2016
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あの夏
22 days
大筒
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あの夏
5 months
17世紀の日本では西洋のレイピアを模して「水口レイピア」(画像1)が製作されているが、海外でも1674年にトランシルヴァニア(ルーマニア)で日本刀を模したと思われる刀剣が製作されている(画像2~4) 全長91.5cm、刃長77.1cm、重量1.775g
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あの夏
1 year
現在の鹿児島県志布志市にあった中世の山城・志布志城(しぶしじょう)の模型 曲輪がすごい!
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あの夏
5 months
鎌倉時代の大鎧は腹巻の4倍、刀の8倍だったとのこと かなりの差があるな
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あの夏
5 months
プレートアーマーの価格について (写真がうまく撮れてないが😅) この記述がどこまで正確かわからないが、15世紀中期頃のミラノ式プレートアーマーは「8ポンド6シリング8ペンス」で、これは現在の貨幣価値に換算すると約170万円程 従者用なら6ポンド(約120万円)と、思っていたよりは安い印象
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あの夏
5 months
慶長の役で捕虜になった朝鮮の姜沆が、『日本人はなぜ死を好みて生を悪(いと)ふのか?』と日本人に聞いた時の答えがこれ 死を恐れず戦うことは、ある意味で生きて禄を得るための処世術でもあるという
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
5 months
「鎌倉武士は最強蛮族」的なノリにはついていけないが、当時の日本人が「死を恐れず戦う」というような記述は『心史』や「騎兵は結束す」でお馴染みの『汎海小録』などにはある 後の明や朝鮮、戦国期の宣教師達の日本人評にも似たような記述は多いので、死を恐れず戦う奴らという印象はあったようだ
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あの夏
1 year
インドをはじめ、象のための鎧もあったりする
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あの夏
1 year
インドの馬鎧(おそらくムガル帝国)の中には、装飾の意味合いもあるのかもしれないが、独自の防具で馬の鼻先を保護するものも 1枚目の画像は象の鼻のように見える
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あの夏
1 year
ついでに見つけた幕末、明治初期の馬の写真。 日本在来馬、体格は小柄だが力強い馬らしい。
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あの夏
1 year
幕末か明治初期の騎馬武者と馬鎧の写真。 まあ、こういう写真は本物の武士だけじゃなく、当時の役者(?)が演じている場合もかなり多いけど、雰囲気は感じられる
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あの夏
1 year
写真家・上野彦馬撮影の日本の武士(1860年代) 洋装でエンフィールド 2 バンド銃と日本刀を持っている
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
馬鎧、日本でもけっこう遺物が残ってるから(泰平の江戸時代の物も多いんだろうけど)、日本の戦場でもそれなりに使われてたみたいよね。 『武器と甲冑』でも馬鎧についての記述があったし
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あの夏
11 months
大理国の甲冑 12~13世紀  かつて、中国の雲南地方あたりに存在した大理国の甲冑 メトロポリタン美術館 (画像はPublic Domain)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
馬用の草鞋・馬沓(ないし馬わらじ) 日本の馬の蹄は硬かったようで、近代になるまでは蹄鉄でなくこのように草鞋を履かせることが多かったらしい
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
5 months
「鎌倉武士は最強蛮族」的なノリにはついていけないが、当時の日本人が「死を恐れず戦う」というような記述は『心史』や「騎兵は結束す」でお馴染みの『汎海小録』などにはある 後の明や朝鮮、戦国期の宣教師達の日本人評にも似たような記述は多いので、死を恐れず戦う奴らという印象はあったようだ
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あの夏
2 months
「チベットの装甲騎兵」 Tibetan, and possibly Bhutanese and Nepalese 18 ~ 19 世紀 メトロポリタン美術館
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
日本にも犬用の鎧が! 江戸時代後期のもので、現存する唯一の例とのこと 犬用の鎧は珍しいが、木製の面や体を覆う鎧の構造から、日本の馬鎧にも近い部分があるように感じる
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
犬用の甲冑もあったらしい 説明によると、1,2枚目の画像は甲冑を着た15 世紀の犬のモデルで、隊商を守るために装甲犬がよく使われたとのこと
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あの夏
1 month
犬用の鎧というもの存在して、4枚目は日本の犬鎧
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@itobin_wh71
伊藤 敏/地図の鬼神
1 month
スペインのコンキスタドールが用いた軍用犬も、首を掴まれないようにスパイクなどのついた首輪を取り付けられていたようですね また、先住民の矢や石といった投射物から身を守るために鎧を着せることも多かったようです
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 month
明や朝鮮の記録に出てくる日本人の剣術(戦国~江戸初期)は、四方八方に跳躍し、相手を翻弄するフットワークの軽い剣術のように描写される事も多い印象 明の武芸書『單刀法撰』では、日本剣術を 「其用法,左右跳躍,奇詐詭秘,人莫能測,故長技每每常敗於刀」と評している
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
全長186cm、刃長121cmの室町時代の大太刀。 徒歩だけでなく馬上でも使うことを考慮してか、反りはわりと深め。(まあ、一概には言えないものの、太刀はもともと反りが強いものが多いが)
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あの夏
4 months
「サーサーン朝のカタフラクト(重騎兵)の再現」 馬の鎧は鱗状のスケイルアーマー 原典 作者 John Tremelling
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 month
絵巻を見ると、上半身はそれなりに重武装でも、下半身は素脚を晒している者もわりと多い印象 足軽の名称の由来が「足軽く駆け回る者」と言うが、ここら辺は機動力を重視した結果か、下半身は比較的狙われ難いとはなから踏んでのことか…… それでも素脚は心許ない気もするが😅
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あの夏
1 year
伊勢神宮の神宝「玉纏御太刀」。 伊勢神宮では遷宮の度に合計60本の御太刀が調進され、このなかで最も華麗で重厚な装飾を施されているのが「玉纏御太刀」 画像の太刀は18世紀前半に作られたとされる。 全長145センチで金銅製。色鮮やかなガラス玉や錦の織物で装飾されている
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あの夏
14 days
江戸期の朝鮮通信使の『海游録』に書かれている秀吉の経歴が酷い😅 「平賊秀吉は、奴隷から身を起こして源信長(織田信長)に代わり、王となった。世伝では、秀吉は中華人で、日本に流入したという。そのひととなりは樵(きこり)をする下僕である。(続く)
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あの夏
1 year
藤原国路作の剣(つるぎ) 江戸時代 1654年 八坂神社の主祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト)への御供物 拵が美しい
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あの夏
1 year
江戸時代の剣(つるぎ) 刃長 29.8cm 日本においても剣は災いを払う など祭祀的な意味をもち、一般的に寺社仏閣に奉納された
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あの夏
10 months
女帝エカチェリーナ 2 世のフリントロック式ピストル 1786年 象牙を使用した豪華な銃 メトロポリタン美術館 (画像はPublic Domain)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
26 days
日本で戦に赴く女性用に特注された甲冑があったかは不明だけど、大名の娘のために特注された甲冑はいくつかあるのよね ただ、嫁入り道具だったりと、飾り甲冑の域を出ないようだけど
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
日本の様々なデザインの鏃(矢尻)
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あの夏
4 months
オスマン帝国の刀剣 1522–1566年 メトロポリタン美術館 (画像はPublic Domain)
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あの夏
5 months
「二枚南蛮胴」 胴には梵字の装飾がある Penn Museum
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あの夏
2 months
鏃の造形も多種多様で、使用目的に合わせて(儀式や単なる装飾も含めて)、色々使い分けていたのだろうな
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あの夏
1 year
幕末か明治初期の騎馬武者と馬鎧の写真。 まあ、こういう写真は本物の武士だけじゃなく、当時の役者(?)が演じている場合もかなり多いけど、雰囲気は感じられる
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あの夏
1 year
馬鎧、日本でもけっこう遺物が残ってるから(泰平の江戸時代の物も多いんだろうけど)、日本の戦場でもそれなりに使われてたみたいよね。 『武器と甲冑』でも馬鎧についての記述があったし
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あの夏
1 year
日本一大きな刀は何か検索したら、1859年(安政6年)の破邪の御太刀(はじゃのおんたち)」らしい 全長465cm、刄渡345.5cm、重量75kgと圧巻😅
@kudamatsukanko
下松市観光協会
3 years
花岡八幡宮が所蔵する日本一大きい刀「破邪の御太刀(はじゃのおんたち)レプリカ」の完成披露を行いました。 このレプリカの重さは約3㎏で持ち運びも可能。学習材料やイベントで使用し下松市の情報発信に繋げていきます。 12月1日~14日まで、ゆめタウン下松特設会場にて展示予定です。 #破邪の御太刀
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あの夏
6 months
「抜き身の刀を手にした男性の写真」 年代不詳 なんかおっかない……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
6 months
身の丈を超える野太刀の絵 近藤好和先生の著書によると、刃長226.7cmの備州長船法光を実際に手に取ってみたところ、意外に持ちやすく、十分に実戦使用可能だとのこと 近藤先生がパワーリフティング世界選手権の日本代表の経験があるとはいえ、反り具合や柄の状態などの調整で手持ちはよくなるようだ
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 month
『色々毛引威二枚胴具足』  変わり兜も色々あるけど、やっぱり個人的にこれがなんか印象深い 🐗に🌰…… 18世紀半ば
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
明治期、武士の仮装をする女性の写真
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あの夏
2 months
剣術では甲冑の篭手裏を狙う技とかあるけど、日本甲冑の篭手の裏、何で覆われてないんやろ? 柔軟性が損なわれるからか、そう滅多に攻撃当たる部位じゃないからか……
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あの夏
1 year
母衣を背負った騎馬武者に扮した写真 撮影時期は19世紀末とされるが、実際のところは不明。馬は比較的大柄に見える
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
22 days
徳川幕府御座船『安宅丸』。 伝統的な和船構造ではなく竜骨を持つ和洋折衷船であり、典型的な安宅船ではない。
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あの夏
5 months
人間の鎧だけでなく、馬の鎧の素材も国や時代によってだいぶ差異が出るなぁ ここら辺、気候風土や運用、馬の種類によって違いがあるんだろけど 日本は古墳時代は鉄製の馬鎧の馬面があったが(戦場では使わなかったという説も)、中世以降は練革や木製が多い印象
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
甲冑を着た庄内藩士・松森胤保(長坂欣之助)。 馬術(大坪本流)、槍術(宝蔵院流)、居合、砲術、水練に長けていたが、博物学者として有名。 朝ドラ「らんまん」の主人公のモデル・牧野富太郎も松森胤保が制作した動植物の図鑑『両羽博物図譜』を見て感嘆の言葉を述べたという
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
20 days
野太刀
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あの夏
1 year
福武一郎氏作の甲冑 大胸筋が良い😅
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あの夏
1 year
馬鎧と騎馬武者その2. こういう甲冑の展示の仕方もいいな
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あの夏
1 year
調べたら、海外の馬鎧も個性的で面白かった。 まず、ヨーロッパの馬鎧
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あの夏
1 year
馬鎧、日本でもけっこう遺物が残ってるから(泰平の江戸時代の物も多いんだろうけど)、日本の戦場でもそれなりに使われてたみたいよね。 『武器と甲冑』でも馬鎧についての記述があったし
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あの夏
2 months
大太刀の古写真 下二枚は1920年代らしく、三尺八寸の長刀を持つ平岡風雲という方で、流派は長谷川流居合なのかな?
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あの夏
18 days
日本の槍
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あの夏
5 months
プレートアーマーの価格について (写真がうまく撮れてないが😅) この記述がどこまで正確かわからないが、15世紀中期頃のミラノ式プレートアーマーは「8ポンド6シリング8ペンス」で、これは現在の貨幣価値に換算すると約170万円程 従者用なら6ポンド(約120万円)と、思っていたよりは安い印象
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あの夏
5 months
棚を整理していたら未読のまま放置してた『図解 防具の歴史』(2018年)が出てきた ざっとめくってみた感じ、西洋、日本、中国、中東、インド等の甲冑の変遷から、プレートアーマーのおおよその値段なども書いていて、意外と面白そう 『中世ヨーロッパの武術』などの著書も参考文献としてあるな
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
江戸末期に軍学者が書いた『武道藝術秘傳圖會』なんかだと、実用的かはともかく手楯(盾)の使用についての記述もあるのよね 江戸期の手楯や鉄手具も残ってるし、それを使った武芸もあったようだけど、浅山一伝流さんのように、江戸初期は楯使った稽古があったけど、次第に消えた例も多いのかも
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
インドの馬鎧(おそらくムガル帝国)の中には、装飾の意味合いもあるのかもしれないが、独自の防具で馬の鼻先を保護するものも 1枚目の画像は象の鼻のように見える
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あの夏
1 year
調べたら、海外の馬鎧も個性的で面白かった。 まず、ヨーロッパの馬鎧
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あの夏
1 year
馬鎧と騎馬武者
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あの夏
8 months
薩摩藩最後の弓術師範役 東郷重持先生
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あの夏
8 months
「試鵠」 曾山幸彦筆 明治23年 >作品の「試鵠」(しこく)という題名は、「的(まと)をねらう」という意味 >旧鹿児島藩弓術指南東郷重持をモデルとして、いわゆる歴史画を油彩画の技法によって、写実的に表現 東京国立博物館 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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国芳「豪傑八罫 島広山晴嵐 武蔵五郎貞世」という江戸後期の武者絵にて、貞世が手にしているのは円盾かな? 笠かもしれないけど……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
日本の絵巻物に描かれる手盾は四角盾・長方盾(?)が多くて、円盾はあまり見ない気がする 日本の手盾は矢除けがメインとの話もあるようだし、そうするとあの造形の方が良かったのだろうか? 盾持ったことないから、形によるそれぞれの利点とか詳しい事はわからないけど……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
追加 日本の馬鎧。 遺物はやっぱり多いし、個性的で面白い
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
馬鎧、日本でもけっこう遺物が残ってるから(泰平の江戸時代の物も多いんだろうけど)、日本の戦場でもそれなりに使われてたみたいよね。 『武器と甲冑』でも馬鎧についての記述があったし
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
組み打ち、竹刀稽古とか戦前の剣道では、試合はともかく練習ではけっこうあったみたいだし、なんなら戦後になっても練習中に組み打ちから面を剥ぐ年配の剣道家もいたと聞くわね 平成生まれの私は体当たりで壁に叩きつけられたことはあっても、組み打ちされる事はなかったし、出来る人もいなかった
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
10 days
象(🐘)鎧 昔は鎧を纏った🐘をどうやって倒したんだろうか……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
中世騎士がメイルを使った理由 『ヨーロッパ地域では、ローマ帝国の衰退で高度な製鉄技術が失われてしまった。金属鎧の製造に必要となる大きな鉄塊が得られなくなったため、中世世界ではしばらくの間、チェーンメイルが防具の主流だった』(『図解 防具の歴史』) ……うーん、これほんまかいな😅
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
6 months
「鎧を着た窪田泉太郎と家臣たち」 横浜 1864年頃 フェリーチェ・ベアト撮影 窪田泉太郎(鎮章)は、江戸末期の大身旗本(2000石)で、幕府歩兵隊連隊長。 西洋式歩兵の編成を進め、駐��イギリス軍による評価も高かった人物。 鳥羽・伏見の戦いで重傷を負い、1868年に死去
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
5 months
日本の武士の籠手は指を覆わないものが多いけど、江戸期のものには西洋のガントレットのように指を覆うものもあったりする
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あの夏
6 months
『甲冑武者はここを狙え!』 (十年程前に買った本の帯) 当世具足等はかなり隙間が少ないように思えるけど(形式が多種多様で一概には言えないが)、それでも西洋のフルプレートアーマー(正式名称ではない造語だが…)と比較して、日本の甲冑は隙間が多いという意見はたまに見る これは、
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あの夏
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戦国時代には鉄板を使った鎧と鉄板を貼った置楯が登場するけど、何なら古墳時代にも鉄の鎧と鉄の楯は使われてたのよね
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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追加 モンゴルの馬鎧。 敵を軽騎兵で攪乱&誘い出してから強力な重騎兵で撃破するという戦い方もあったらしい
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あの夏
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調べたら、海外の馬鎧も個性的で面白かった。 まず、ヨーロッパの馬鎧
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あの夏
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ジャン・バティスト・マルシャン司令官(1863~1934年)を讃える贈呈剣 1889年 パリ 古代エジプトをテーマにしたオリエンタリズムの強い柄が特徴的 メトロポリタン美術館 (画像はPublic Domain)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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文禄慶長の役の頃の日本側の戦法に関しては、降倭・呂汝文が説いた陣法が参考になりそう 日本の陣形については、「まず最前列に旗持が、二列目に鳥銃(鉄砲)手、三列目が槍剣手の順で整然と並び、左右に奇兵を配した陣形」とある 実際にこの通りなら、思ったより整然と陣形を組んでいたのかも(続く)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
28 days
女武者、14世紀の貴族の日記『園太暦』に、「山名時氏の軍勢に女騎が多数いる」みたいに書かれていたなと思って調べると、 wikiに「日本における女性の合戦参加の年表」ってのがあって、時系列的に列挙されてるのね 日本における女性の合戦参加の年表
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 month
固定しているとはいえ、戦国時代の袖に刀で10センチの切り込み入れられるのね 槍は袖を貫いているけど、胴の部分で試した訳じゃないしなぁ まあ、伊予札は力を込めた槍の一撃を防げないらしいが
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 month
というか別の日本の番組、戦国時代の本物の袖に刀で斬りこんだり、弓を射たり、槍で突いたりしとる😅 固定しているとはいえ、槍は貫通しとるな…… しかし、本物の袖が勿体ない気も……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
望月稔先生などは、内蒙古での匪賊との白兵戦の経験から、剣道は実戦で使えない、香取神道流のような古流が斬り合いでは役に立ったみたいに著書に書いているのよね ただ、望月先生御自身が剣道五段の実力者でもあるわけで、剣道のベースがあったからこそ古流の技がさらに活きたという可能性も……
@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
武具を手にした望月稔先生(1907年- 2003年)のお写真 嘉納治五郎先生、三船久蔵先生、中山博道先生、植芝盛平先生をはじめ、名だたる武道家に師事し、柔道・合気道・剣道・空手・古流(香取神道流など)をひとつにして総合武道「養正館武道」を創始 生涯「実戦技法」を追い求めた武道家である
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
4 months
「古侍」 Drawing_3_by-_Antonio_LaMotta_founder_of_Shinobi_Kai_Kenjutsu.jpg Author Lamottaart
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
戦前の銃剣道の防具らしい。 銃剣道は日本の槍術の影響を強く受け、たしか防具も槍術から採り入れて改良したはず(銃剣道には詳しくないけど……)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
5 months
10年程前、上野の国立博物館に海外から食べられない白菜と豚の角煮等、歴代中華王朝の美術品が多数やって来た 白菜と角煮は人気で、確かこの2つのみ行列に並ばないと鑑賞できず、2時間程並んだのを覚えている 実際、精緻で美しかったが、個人的には並ばずとも見れた清代の壺の方が素晴らしかった記憶
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
日本在来馬、甲冑武者を乗せてもこの速さ!
@tono_mikado
正五位上大宰少弐
4 years
道之舗、小桜韋縅大鎧で外乗。 総重量約100㎏、約3㎞9分26秒、平均速度19㎞/h、最高速度42.2㎞/h。 道中抑えながら駈け、計測後も余力がありまだ本気ではない。 この数字でも木曽馬は弱く、大鎧武者を乗せるとすぐへばる、歩兵より遅い、という汚名を雪ぐことは十分できたのではないでしょうか?
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
こういう蛇腹タイプの篭手は日本だとあまり見ないかな 探せばあるかもしれないが
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@Chinaswordbot
中国武具刀剣bot
6 years
【鉄臂手】 中国の鎧の一部品。別称臂甲、臂縛、環臂甲など 鉄甲を蛇腹状に並べた、肩から腕全体を保護する防具。明代の甲冑に特有の構造。腕の可動域を阻害する事無く、かつ高い防御力を得られる 画像1、2枚目は蕭何国甲工作室による復元
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 month
こういう長い金砕棒好き しかし戦国期には金砕棒の使用は下火になっていたというから、現存する金砕棒はあまり多くないよな  その中でも木の棒に鋲をつけた金砕棒はともかく、完全鉄製とか鉄板を貼ってある金砕棒はさらに少ない印象
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
3 months
「色々糸威腹巻」 室町時代 15世紀 壺袖が良いわね (東京国立博物館にて撮影)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
3 months
ドイツの両手持ちの刀剣としては、直剣のロングソードだけでなく、こういう反りのあるGroßesMesser (グロスメッサー)なんかもあるよね グロスメッサー用の武術書もあるようだけど、ロングソードとグロスメッサー、戦闘においてどう使い分けされてたのだろうか?
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
1 year
薙刀のリーチと脛打ちは恐ろしい…… あと、女性の薙刀名人と言えば、やはり園部秀雄先生の逸話が印象深いです。 男よりも秀でたその実力から師より「秀雄」の名前を貰い、名だたる武道家と異種試合をしても、93歳で死去するまで敗北した試合は2回のみという……
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@take_nakanishi
中西豪@史道不覚悟
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女子薙刀の凄みを実感したいなら、こちらの動画。副将の剽悍、主将の重厚、圧巻!
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
12 days
「Zischägge (Helmet) and Cuirass of Emperor Ferdinand II」 1620年頃 南ドイツ この鎧は普通の騎兵のものではなく、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世のものとのこと
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
6 months
「短筒」 c. 1700 - c. 1850 三つ葉葵が金蒔絵で装飾された豪華な短筒 アムステルダム国立美術館(Public domain)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
3 months
日本の戦国時代には和紙で出来た鎧があったとも聞くけど、中国でも唐〜明代に紙製の鎧(紙甲)があったようだし、紙といえども馬鹿には出来ないかも
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
4 months
「アイヌ刀」 約 1900年 魔除けの儀式用の剣で、刀身は日本刀由来のものと思われるが、拵はアイヌのもの 国立世界文化博物館 (Nationaal Museum van Wereldculturen)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
4 months
鎖帷子付き鉢金
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
26 days
「魚鱗胴畳具足」 >8代藩主・真田幸貫夫人所用。真田幸貫夫人は、7代藩主・真田幸専の養女である。この甲冑は、婚礼調度品の一部と思われる。兜には日輪の前立がつく。畳具足と俗称されている。 所蔵機関 真田宝物館
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
26 days
日本で戦に赴く女性用に特注された甲冑があったかは不明だけど、大名の娘のために特注された甲冑はいくつかあるのよね ただ、嫁入り道具だったりと、飾り甲冑の域を出ないようだけど
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
3 months
中世の日本、宋や明から鉄を大量に輸入し、日本刀にも輸入鉄が多く使われたのではという説もあるみたい 日明貿易では大量の日本刀が明に輸出されているけど、仮に輸入鉄が刀にも多く使われている場合、それは大陸から輸入した鉄を刀に変えて輸出するという事で、なんか加工貿易みたいやね
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
8 months
スウェーデン民族学博物館所蔵の具足 armour - Finnish Heritage Agency, Finland - CC BY.
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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革の裏地に小銭を縫い付けて構築された日本の胴。 『忍たま乱太郎』のきり丸が喜びそう……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
20 days
文禄慶長の役の『懲毖録』に、賊(日本軍)はよく槍刀を使うが、我軍(朝鮮軍)にそれを防ぐ堅甲が無い。厚い鎧を全身に纏えば賊は刺す隙間が無いので勝てるだろうと工匠に鎧を造らせる話がある ただ、賊と戦うには満身の厚い鎧を着てはその重さに勝てず、賊を殺せないとして製造は中止になった……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
5 months
幕末かその直後に来日した西洋人の記録の中には、日本刀で攻撃してくる日本人の脅威についても書かれており、「刀を抜いた動作から一気に斬りつける」とその抜刀術にも言及している 下記の海外のサイトは戦国時代以降の西洋人の日本剣士・剣術評をいくつかまとめていて面白い
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
14 days
信長が関白になったとき、その容貌の奇なるを見て宮中に引き入れ、近きにはべらせて寵愛し、事に用いた。よって秀吉は信長を弑し、みずから立って関白となり、諸酋を虐滅して州島を統合した」 朝鮮通信使の秀吉に対する評価が低いのはわかるが、「秀吉は信長を弑し」ってのはどこから得た情報なのか…
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
持楯の使用が限定的だったかもしれないけど、置楯はかなり頻繁に使われたっぽいのよね まあ、置楯程じゃないにせよ、持楯も絵巻とかに描かれるし、意外と使われていたのかもしれないが……
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
江戸末期に軍学者が書いた『武道藝術秘傳圖會』なんかだと、実用的かはともかく手楯(盾)の使用についての記述もあるのよね 江戸期の手楯や鉄手具も残ってるし、それを使った武芸もあったようだけど、浅山一伝流さんのように、江戸初期は楯使った稽古があったけど、次第に消えた例も多いのかも
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
4 months
『宣祖実録』で、宣祖は「"倭賊不能射, 而人莫敢敵, 何?"(倭賊は弓を射るのが得意ではないのに、なぜ敵するものが無いほど強いのか?)」と臣下に聞く 臣下は「我が国の人は、射を善くするといっても、遠すぎればあたらず、近ければ倭劒を畏れます」と答え、近接戦をせずに逃げることを問題視している
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
4 months
「金小札赤糸素懸威腹巻」 >金箔押の細長い革小札(かわこざね)を、緋糸でもって、二筋づつ並べて綴る、いわゆる素懸威(すがけおどし)としている 寄贈者 村井吉兵衛氏 京都国立博物館 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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犬用の甲冑もあったらしい 説明によると、1,2枚目の画像は甲冑を着た15 世紀の犬のモデルで、隊商を守るために装甲犬がよく使われたとのこと
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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インドをはじめ、象のための鎧もあったりする
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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中世の日本人の戦闘力を高く評価する大陸の記録は多いんだけど、「小柄だが強い」みたいに倭人は小柄という言及も多い印象 実際、古墳時代は大陸とそう変わらなかった日本人の平均身長は近代になるまで徐々に小型化していくのよね (稲作重視や仏教のために動物性タンパク質摂取量が減ったからとも)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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薙刀は筑紫薙刀なんかも特徴的なデザインをしているなぁ
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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「鉄雪下胴」 >「雪下胴」は、鎌倉・雪下在住の道具足鍛冶が製作した胴の呼び名で、鉄板五枚を集めて、隙間なく体を包む形式。を分解して収納できるところから「解胴(ほどきどう)」などとも呼ばれた 京都国立博物館 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
2 months
実際に長篠の戦いに参加した成瀬正一の指示で描かれたとされる『長篠合戦図屏風』だと、信長の兜は南蛮帽風なのよね 実際にこのような兜を使っていたかはともかく、京都御馬揃えでも南蛮の帽子を被っていたようだし、やはり南蛮趣味もあったのだろうね
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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この古写真の武器も筑紫薙刀のように見える
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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薙刀は筑紫薙刀なんかも特徴的なデザインをしているなぁ
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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Modular Chain & Scalemail Top armour モジュラーチェーン & スケールメイル トップアーマー ¥235,294 なんかRPGで出てきそう(´・ω・`)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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逆に日本刀に裏刃がない理由はなんだろう? 小烏丸みたく鋒両刃造はあるんだけど少数派だし、日本刀の造りで裏刃をつけると強度的な問題が出たり? うーん
@MSfjam
しげ・フォン・ニーダーサイタマ@コミカライズ10/4発売
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西洋剣術ざつだん:なんで両刃なんだろう
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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幕末の長巻  (新宿、サムライミュージアム所蔵のようだが、現在は当面の間休館しているとのこと) かなり身幅が広い
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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南北朝時代、なんかパワフルで好き(小並感)
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@DBo2750puu0hfu3
あの夏
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単なるオシャレなのか銃を撃つとき邪魔になるからなのか、幕末〜明治初期には刀を背負って携帯する写真や絵がいくつかあるのよね まあ、こういうのは少数で、大半は腰に刀を差しているのだけど
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