かぽ
@thecure2392
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新宿でボディワークをしています。個人の方への出張は行っておりません。ご依頼はこちら→https://t.co/CIN0Q3t0BZ note→https://t.co/gmF8tSO3yO LINE以外からのお問い合わせ→[email protected] セッション以外の内容には対応いたしかねます。
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Joined April 2015
歌舞伎にも美と醜、雅と野、生と死、滑稽と悲劇が同時に存在するし、歌劇やオペラなども、登場人物の醜い嫉妬や破滅願望が圧倒的な音楽と様式美によって美しい悲劇へ変換される。感情の汚さが音楽的高揚と矛盾せず、むしろ両方を抱えたときに作品が完成する。
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何でヴィジュアル系が好きなのかということを聞かれるが、醜さだけでもなく、美しさだけでもなく、そのどちらもが中途半端に混ざっているのではなく、意図的に両方を最大値まで引き上げたうえで共存させているところに、ほかのジャンルにはない独特の強度がある。
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震えるほど美しいものって、それだけで生きていて良かったと思わせてくれる効能がある。酷いものを見て安心したいという人も多いだろうが、私はやっぱり美しいものばかりに触れて生きていきたい。美しいものに触れるというのは単に気分が良くなるという話ではなくて、壊されたり曇ったりしやすい世界へ
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幸せというのは状態よりも、自分を豊かにする方向へ自然と傾く選択パターンが生活の内部で働き続けているかどうかで決まるもので、幸せな人は幸せを頑張って維持しているのではなく、日常の膨大な分岐点で
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人に怒られないように自分を適応させようと生きてきたほど人を怒らせてしまう逆説って何だと思う?って聞かれて、怒られないように必死で生きてきた人の適応は、特定の環境に最適化された反応だから、別の相手や別の状況ではそのまま通用しない。すると、本来いらない遠慮をしてしまったり、先回りしす
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From uncovering global vaccine injury to testifying in Senate hearings and standing in courtrooms across the country, the McCullough Foundation shows up where others won’t — confronting captured institutions, protecting the injured, exposing false claims, and fighting for ethical
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お互いにそこまで無理をかけずに続けられる関係こそが幸せだという関係思想を持つ人と、どんな状況でも自分を削ってでも相手に尽くすことが愛情の証だと考える関係思想を持つ人は、関係がどう成立すると思っているかという仕組みそのものが違いすぎて、どれだけ丁寧に話し合っても、互いの言葉が届く前
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優美に動く人は、造形的な美しさとはまったく別の次元で、ただ“見ているだけで身体が整う”みたいな存在で、美しい顔立ちとか、スタイルが良いとか、そういう静止画的な意味の美しさではなくて、動きそのものが身体の深部に届いてくる美しさ。流れるような重心、無駄のない切り替え、筋肉と関節の連続性
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ごく稀に、どんな動作をしていても優美な人がいて、力みがなく、動きがすべて水のように滑らかで、止まる・始まる・切り替える、そのどの瞬間にも角がない。必要なところに必要なだけしか力が入らないから、余計な筋収縮が発生せず、動作がひと続きの流れとして見える。力みがないというのは力が弱くて
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自己啓発でよく語られる「自分のステージが変わるとそれまでの縁が切れる」という物語は危うい自己正当化が混ざりやすい。新しいことを知ったり、環境が変わったり、視野が広がった瞬間、人は一時的に傲慢ゾーンに入ることがあり、新しい視点を手に入れた自分に酔い、以前の環境や人を雑に扱ったり、ど
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自分のことをきちんと受容している人は、人の言葉を受け取るときに、過剰な防御反応や被害的な補正で言葉を受け取ることがまずない。言葉を攻撃かどうかで判断するのではなく、意味そのものとして受け取れる土台がある。
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何も言わずに消えたならまだしも、発想が共依存ベースで自他境界が薄い人は、親しかった相手から距離を置きたいと言われたときに、離れることに私を納得させる理由をちゃんと説明すべきだとか、もっと関係維持のために努力すべきだとか、そういうおかしなロジックにすぐ繋げてしまうが、単に自分の不安
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かなり親しかった人に「距離を置きたい」と言われたときにスッと潔く身を引ける人は、冷たいわけでも悲しくないわけでもなく、むしろ 相手の幸せや安寧を自分の感情よりも上位に置けるだけの成熟と愛があるからできること。
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人によって態度が変わるのは当たり前で、問題になるのは態度が変わることそのものではなく、リスペクトが欠如した攻撃性が入り込むことで、友達と上司に同じ振る舞いができないのと同じで、相手や場に合わせて行動を調整するのは正常な社会性の一部でしかない。
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これの真逆に位置するのはテイカーではなく自己犠牲ギバーで、エネルギーの流れがまったく見えていない。自己犠牲ギバーは自分がどこに渡しているのか、どこで漏れているのか、何が消耗なのかという構造を理解しないまま無差別に開いてしまい、循環しない関係にまで延々と与え続け、自分のキャパを超え
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仏のように優しいのに全く自分をすり減らしていない人というのは、誰にでも無差別に優しくしているのではなくて、優しさの扱い方が異常に洗練されていて、時と処と立場で可能な範囲を正確に切り替えられる。優しさが性格ではなく運用の問題で、循環して返ってくる関係には惜しみなく開き、循環しない関
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もちろん、これは「別の存在を親代わりにする」という意味ではまったくなく、むしろ “親的役割そのものを人生の中心から外せるようになった” という話であって、誰か別の人を代替に据えるという構造とは真逆にある。
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絶え間なく親に文句が出てくる状態は、親に対して怒りや不満があるというよりも“親以上に影響力のある上書き環境をまだ自分で獲得できていない” という現在地を反映していて、親を超える環境が自分の周りに揃っていないから、主語がいつまでも親になり、過去の傷にアクセスし続けてしまう。
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