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藤原栄善 EIZEN FUJIWARA Profile
藤原栄善 EIZEN FUJIWARA

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兵庫県西宮市にある高野山真言宗 鷲林寺住職です。声明(しょうみょう)を専門としております。声明とは仏教音楽です。声明という音楽を通して人々が幸せになって頂けたらと願います。西宮市鷲林寺住職/高野山増長院兼務住職/高野山専修学院能化/兵庫県仏教会副会長/密教/仏教/真言宗/高野山/弘法大師/南山進流声明/六甲修験/読書

兵庫県西宮市
Joined September 2018
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藤原栄善 EIZEN FUJIWARA
13 hours
最近、よく聞く言葉があります。 「自分はまだ未熟です」 「ちゃんとしてからでないと意味がない」 「今の自分では、何も語れません」 と・・・ 弘法大師はまったく違うことを教えておられます。 『即身成仏義』にある 「速疾顕」という言葉です。 これは、 「もっと成長してから」
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2 days
弘法大師は「速疾顕」と仰いました。 では、何が速疾に顕れるのか。 それは、本尊の智慧そのものが顕れると仰ったのです。 三密瑜伽とは、 仏が行っている身・口・意のはたらきと、行者の身・口・意が重なり合う行です。 そのとき、 「私が悟る」のではなく、
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3 days
「即身」の「即」とは何を意味するのか ここで重要なのが「即身成仏」の「即」です。 この「即」とは 単に「この身体で」という意味だけではありません。 時間としては「即時」――今この瞬間 場所としては「即処」――今この場 この二つを合わせた 「今―ここ」を指す言葉なのです。
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4 days
重症の子供が運ばれてきたとき、 医師は「この子を助けたい」と願い、 自分の技術のすべてを注ぎます。 この心も「欲」です。 しかしそれは自分のための欲ではなく、 他者に向けられた欲――利他の欲です。 密教は欲を否定しません。 欲がどこに向いているかを問います。 苦しむ人を前にして、
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5 days
三密(身・口・意)を通して、仏とつながった瞬間に、その智慧は“速疾に顕れると弘法大師は説かれました。 よって即身成仏とは、いつか別の世界で完成する話ではなく、今この身体・この心、この生き方の中で、仏の智慧が動き出すことなのです。 若さとは、未完成であることではありません。
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6 days
智慧とは頭が良いことだと思っていませんか? 智慧とは、仏になるために後で手に入れる知識ではありません。 弘法大師は、もともと私たちの心そのものが仏の智慧なのだと仰います。 衆生心是仏心 (衆生の心、それ即ち仏の心なり) 私たちが「自分は未熟だ」「まだ悟っていない」と思うのは、
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7 days
きょうはクリスマス。 私は僧侶で仏教徒ですが、キリストさまのご生誕を心からお祝いします。 きょうは仏教とキリスト教の「違い」を論じる日ではありません。 人類が大切にしてきた同じ光が、それぞれの文化と言葉で、どのように語られてきたかを静かに味わう日ではないでしょうか。
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8 days
仏の智慧は、ただ心の中で光っているだけでは働きません。 智慧を動かすのは、 「人を思う慈悲の心」です。 弘法大師は、三摩耶(誓願)とは「智慧と慈悲がひとつになる働き」だと説かれました。 「誰かを助けたい」 「良い世の中をつくりたい」 その慈悲の誓いが起こるとき、
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8 days
「この人を助けたい」 「世の中を少しでも良くしたい」 そのような思いが心に起こるとき、不思議と智慧は働き出します。行く道が見え、手が動き、ことが進んでいきます。弘法大師が言われた三摩耶とは、まさにその働きです。
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10 days
大悲 のはたらきが大切です。 よって弘法大師は、三摩耶とは「大悲との融合」であると説かれたのです。大悲が行者の誓いを引き出し、その誓いが大悲と共鳴して、そこに智慧が立ち上がる。 慈悲が先に動き、智慧が後から現れる。 この順番こそが、日本密教が大切にした三摩耶の姿なのです。
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11 days
密教には「三摩耶(samaya)」という大切な言葉があります。 日本語では「誓願」と訳されますが、単なる「心の願い」ではありません。 仏さまの側から照らされる大きな慈悲の光と、私たちの側から「この道を歩みたい」と立てる誓いが、ちょうど二つの手が合わさるように重なり合う。
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12 days
インド密教 samaya=方便(大悲)と智慧の統合の誓い(理論的) 日本密教(空海) samaya=仏の大悲と行者の誓願が感応し、智慧が現れる(実践的・体験的) 弘法大師は「働き」を中心に捉えたため、大悲そのものを samaya の中心に置いたというのが正確な解釈です。 一言でいえば インド密教は
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12 days
弘法大師が強調したのは ① 密教は「仏と行者が感応し合う宗教」である。 samaya は「仏の慈悲が行者の誓いを引き出す動力」であ��、 行者を仏へ導く「触媒」のような役割があります。 大師にとって「仏の側から行者へ働きかける力=大悲」が最も重要でした。 ② 智慧は「大悲に乗って」働く
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13 days
インド密教では、仏の成り立ちは 「大悲(方便)+ 大智慧(般若)」 の二つのはたらきが合わさることで成立するとされます。 そのため samaya は、 「智慧をもって大悲を実践する誓い」 という意味を持ちます。 ここでは「方便=大悲」の側が samaya と密接で、 智慧は
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14 days
誓願に欲望が混じる場合でも 「欲望 は大悲へ昇華できるか」 が最終的な分かれ目です。 私利中心の欲はsamaya(誓願)を曇らせる。 利他へ向かった大欲はsamaya を強め、行を深める。 弘法大師が戒めたのは「小欲」や「我利我欲」であって、「大欲」即ち「大願」は否定されません。 ◎
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藤原栄善 EIZEN FUJIWARA
16 days
会社・企業・団体の繁栄を願うことは、単に「儲けたい」という私的欲望でなければ、れっきとした利他の誓願になり得ます。 たとえば 「社員の生活を安定させたい」 「お客様に役立つ仕事をしたい」 「地域経済を良くしたい」 「人が喜ぶサービスを広げたい」 このような願いはすべて
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