広田淳一
@binirock
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劇作家・演出家・俳優の広田淳一です。ツリー投稿は全体でひとつの主張ですので通してご覧ください。投稿はすべて私見であり、属する集団とは関係ありません。/JADP認定ハラスメント対策マネジャー/上級ハラスメントマネージャー
japan
Joined May 2008
『安楽死特区』の小説にも映画にも、その創作過程に一切、僕らは関わっておりませんが、なんだか勝手な思いとして自分たちのやった芝居がバタフライエフェクトの一端を担えたような心地でうれしく、感慨深い思いです。映画、観に行かな!笑
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映画の原作となった『安楽死特区』という小説をお書きになった長尾和宏先生は、まさに『天国への登り方』をアマヤドリが劇団で作っていた時に書籍を参考にさせていただき、取材させていただいて実際に本番の舞台もご覧になってくださった方でして…。
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『安楽死特区』! っていう映画が出来たんですね。安楽死制度の無い日本で特区を設けて安楽死を認めてみたらどうなるのか…? という思考実験はまさに僕が『天国への登り方』(2019年初演)で劇にした題材なので、一応、こちらが先です! と主張しておこう笑 いつか『天国』再演したいので。
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改めて念の為に言えば、別に政治的な主張をなさっている方を批難する意図は一切ない。自由なんだから大いにやったらいい。でも、そうではない可能性に賭けて沈黙を貫く勇気だってある。知恵だってある。誰かに共感しようが反感を覚えようが、それをこんな場所で言わなくたっていいんだ。
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アマヤドリに関してルスバンズに関して、あるいは僕の作るお芝居に関してそういったネタになれるならそんなに幸せなことはない。その時、僕が特定の政治的なトピ��クについて特定の意見を持っている、なんて情報は必ずしも重要ではない。場合によっては邪魔になる。そういう役割もあるんじゃないか。
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嫌な奴だと思っていたけど、なんだあなたもエド・シーランを聴くのか、と。レディオヘッドはいいよね、と。そういう繋がり方もあるんじゃないか。演劇だってもちろんそうで、国内でこんなにハロルド・ピンターについて話が合うやつはいなかった、とか、そういう話題を提供できる可能性も大いにある。
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たとえばお互いが憎しみ合って、恨みを募らせ合ってしまうような集団や国や地域があるとして、大嫌いな人たちだけどなんだ「鬼滅」の話は通じるのか、ドラゴンボールを見てるのか、ガンダムでは誰が好きなんだ、とそういう繋がり方ができる場合もあるわけだ。
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分断の時代と言われて久しいがこれからはSNSなどがもっと分断を煽る装置として���能していくだろう。人気のあるものに大量の加速がついて、叩いていいと認定されたものは徹底的に叩く。それが金になるのだからそういう発信をする人はこれからも大量にいるだろう。
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いろいろ落ち着いたので少し書いておきたい。SNSを使って誰かが政治的な話をするのは、それはその方の自由であって大いに結構だと思う。ただ、別にそういった主張を一切しないことが卑怯でも、無責任でもない、と僕は思う。何も発信しない知恵も勇気もあるんじゃないか。
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上掲の資料は改変の上で使用してもらって構わない。ゼロからハラスメント資料を作るのはしんどいが「いや、それはちゃうやろ」とか、「ここはもっと強調してよ」とかツッコミを入れつつ自分たちの掘っ立て小屋を立てていって欲しい。ほんのわずかな養分にでもなったら幸い。とにかく自前の言葉が要る。
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これは昨年の勉強の成果で結構、クセの強い資料だと自負している。ハラスメント防止にまつわるあれこれはコミュニケーションの在り方に直接関わってくるので、借り物の言葉ではなく、自分でひとまとまりの資料を作りたかった。おんぼろの掘っ立て小屋であってもレンタルルームよりマシだ、の精神。
今回のルスバンズ公演にあたって実施したハラスメント研修のための資料を公開いたします(公開戯曲ページの一番下にあります)。いつか公開したいと思いつつ長い時間がかかってしまいました。完璧とは程遠い資料ですが、現時点での私たちの指針ということでご覧ください。 https://t.co/cTe9timQzm
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多分これからの自分は、強度のある葛藤を備えた現代劇を作りたい、という衝動に基づいてあれこれ作っていくんだろう。たくさん移動しつつ、動作に拘って俳優の動きを振幅させていきたい。『坊や』という作品は今後の自分の創作の方向を示す一本になったんじゃないかと思う。
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そこで「沢山移動する会話劇」として『人形の家・激論版』に至ったわけだけど、その方向での演出的な発展、ということは今後の課題ということにしていきたい。今回の『坊や』はとにかく古典劇のようなドラマ、強い葛藤を持った台詞たちを現代日本を舞台にやりたかった。それに専念した。
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その後アマヤドリでは『全員で動く』みたいなことをやりだして、身体の共振、ということに興味関心が移っていった。それは群舞として発展していったけどリアリズム演技とはやや乖離してきてしまった。そこで今度は移動に着目して身体の(過剰な)動きとリアリズム演技とをもう一度接合しようとした。
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チェルフィッチュの『クーラー』とかで何に取り組んでいたのか僕は本番を観ただけなのでちっとも背景はわからないが、勝手に思っていたのは「心理的な動機からスタートした動作を反復、振幅、増幅させていってリアルから離れ、それをダンスとして着地させる、みたいなことをしているのかな? と。
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ゼロ年代の初頭なんかには主にチェルフィッチュ(岡田さん、山縣さんら)の影響を受けて、動作を増幅させ、加速させて俳優の身体に負荷をかけていく方法があれこれ模索されていた、と僕は思っていて、自分たちもそういうことに取り組んだりもした。『水』初演の頃とかは特にそう。
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俳優の動きにはざっくり大別すれば、移動と動作という二種類があると思うんだけど僕は近年、この移動を増幅させる形でのリアリズム劇の進化系みたいなことを模索してきた。自分で出演しつつそれを発展させるような力量は僕には無かったので、それは今回、難しくなった部分。
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会話劇の動きを作っていく方法というのは目下あれこれ模索中だけど、基本として思っているのは、俳優の動機に尾ひれをつけていく、ということ。言い換えれば、俳優が実際に動機を持って動いてくれた一歩を、二歩にする、三歩にする、ということ。加速させ、増幅させていくこと。
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今後は更に「会話劇なのになんでこんなに動けるんだよ!?」「リアリズムの演技しつつこんなに空間を使えるのか!」ていうのをやっていきたい。『人形の家』激論版では少しはその足がかりが出来たけど、今回、そういった面では一歩後退。これはまあ、自分が出演しちゃったから、という面が大きい。
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ルスバンズで今回やれなかったのは身体にまつわる演出家としてのアプローチということだったのかな、とも思う。イプセンの『野がも』を演出した頃からかなり意識的に動きのある会話劇、ということを演出家としては心がけてきたんだけど、今回はそんなに動けなかった。もちろん、結構動いているけど。
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