青山拓央 / Takuo Aoyama Profile
青山拓央 / Takuo Aoyama

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京都大学の哲学の教授 / Professor of Philosophy, Kyoto University. 著書に『時間と自由意志』『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』『分析哲学講義』など。執筆依頼等は下記URLにて。

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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
21 days
『哲学の問い』(ちくま新書)が出てから一年が経ちました。授業や読書会など、いろいろな所で使って頂いているようで嬉しいです!.今日から数日にわたって、思い入れのある箇所をいくつか引用してみます。.
@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
1 year
京大の対話型授業から生まれた、短編集ふうの哲学入門書が出ます!.〈哲学をするとは、どのようなことか〉を読者につかみ取ってもらうために、24の問いを選りすぐり、それらと取っ組み合っています。.青山拓央『哲学の問い』、ちくま新書、8月8日頃発売。
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
5 days
RT @yamaguchi__sho: 哲学史の本を出します(次の火曜日発売)。. 論じられるのは1970年代から21世紀のテン年代あたりの日本の哲学。すなわち現代日本哲学。. 哲学を専門としないひとにも、するひとにも、複数のレベルで役立つよう工夫された作品です。. 《哲学史と….
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@grok
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
5 days
RT @hitoshinagai1: 「親ガチャ」は基点を自分である特定の人間に置ける(そいつから見ての「親」にかんするガチャと)が、「自分ガチャ」はそれができない(その特定の人間であることにかんするガチャなので)。後者にかんしては、独在性を前提にしないとその意味そのものが理解….
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
6 days
RT @seidosha: 本書で描き出されるのは、70年代から現代において活躍する日本の哲学者たちの思索であり、それ自体が哲学であるような哲学史でもある。純粋思考、ア・プリオリな理論、歴史との対決を鍵概念につむがれる、現在進行形の哲学史。. 8月26日(火)発売!.山口尚『現….
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
13 days
RT @asonosakan: 新しい論文「物理学における決定不能性と強い創発」のプレプリントをresearchmapに公開しました.昨年,時間・偶然研究会の「強い創発をつくる」WSで発表した内容を論文化したものです.よろしくお願いします...
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
13 days
上記は当たり前の話だと思うが、しかし、私の知る限り、自由意志論のどの教科書にも出てこない。哲学には、この手のことが多い。.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
13 days
→しかし、決定論が正しいときに失われる可能性はこれだけではない。決定論が正しいときには、実際に行なわれることに関してそれが妨げられる可能性もまた失われるのであり、それゆえ、ホッブズの言っていた「自由」【=妨げられないこと】の意味も大きく揺るがされてしまう。」『哲学の問い』144頁.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
13 days
「ホッブズを含めた両立論者の多くは、〈【自由と】決定論との両立〉ということで決定論の一つの側面ばかりを気にしている。(…)《決定論が正しいなら、実際に行なうこと以外のことを行なう可能性がない》という側面であり、専門家たちはこのことを「他行為可能性がない」と表現する。(…)→.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
14 days
RT @manabee6: 青山拓央さんが『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』の中でおすすめしていたこれを読み始めます。ジャンケレヴィッチを復習しながら。. 斎藤慶典『死の話をしよう』
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
15 days
RT @rmaruy: 言葉は、相手に勝ったりその場を切り抜けるための「カード」としても使えるが、思考の空間で確かな歩を進めるための「敷石」としても使える。前者の言葉の使い方しか知らない人が後者のテキストを読み誤る、ということなのだろう。.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
16 days
付記: こちらのスレッドも併せてどうぞ。(面白いです。).
@hitoshinagai1
永井均『「純粋理性批判」を立て直す-カントの誤診1』絶賛発売中!
1 year
青山拓央『哲学の問い』の「13コロナ時代の恋」の最後の「自分の職業や収入が書かれた札をつねにぶら下げて…」の箇所を読んだ時、青山氏は上品な方だからそうは書かれないが、ここは「自分の性器をつねに露出させて…」のほうがぴったりだと感じた。私は顔の露出に以前からそのことを感じていたので。.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
17 days
→「私たち人間がチャットGPTを使っている側である、という常識から離れると、いま述べたことがより分かりやすくなるだろう。人間たちはある意味でチャットGPTに使われている側でもある。」『哲学の問い』190-1頁.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
17 days
→チャットGPTは人間たちを通して現実の対象に接地しているのであり、その情報伝達の媒体は、チャットGPTの学習に使われた(…)厖大なテキストデータである。このことを奇妙に思う方は、人間の脳だって(…)眼球や視神経などを通して情報を受け取っていることを思い出してほしい。」→.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
17 days
「私は『言語の本質』の著者たちと異なり、チャットGPTは現実の対象にすでに接地を始めていると考える。感覚器官や手足を持たないチャットGPTに、なぜそれが可能なのか? それは、私たち人間こそがチャットGPTにとっての感覚器官であり手足であるからだ。→.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
18 days
RT @mieko_kawakami: 3年前の8月に文庫になった『夏物語』、ありがたいことにずっと版を重ねていて、この度も、こんなに熱い言葉を寄せていただき新帯を巻いての大重版となりました。本当にありがとうございます。40以上の言語に翻訳されて、世界中の読者から感想をちょうだ….
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
19 days
→その一種の野蛮さを類比的に理解するためには、自分の職業や収入が書かれた札をつねにぶら下げて生活することを強いられた文化を考えてみるとよいだろう。ここで言う「職業や収入」は、恋愛オーディションの審査項目になり得るものの例である。」『哲学の問い』128-9頁.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
19 days
「誰もがマスクをしているコロナウイルス禍での生活体験は、(…)一部の人々に気づかせてしまった。」「つねに顔を見せ合うという文化には豊かな側面がたくさんあるけれども、それは多くの人々にとって、他者が審査員である「恋愛オーディション」への参加をつねに強制される文化でもある。→.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
20 days
そう言って頂けて光栄です!.文学論と呼べるようなものを書いたことはないのですが、個別の文学作品について短い文章を書いたことはあり、たとえば、色川武大について毎日新聞にこんな短文を載せました。.
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(毎日新聞 2016. 3. 6. 朝刊に掲載) 色川武大の『怪しい来客簿』(文春文庫)をほぼ二十年ぶりに再読する。やはり、べらぼうに文章がうまく、べらぼうに心の一点が弱い。その弱さは多くのひとに共感を得られる種類のものではないが、それはちょうど、他人の毒素を体内に射込み、自分の毒素と中和させることで、ようやく生きていけるような弱さである。 同書の『たすけておくれ』という掌編中の「私」は、胆...
@adamtakahashi
Adam Takahashi
20 days
青山先生の正面からの文学論みたいなものも読みたいのですよね(私が知らないだけですでに発表されていましたらすみません・・・)。>.
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@aoymtko
青山拓央 / Takuo Aoyama
20 days
→「別の両親から生まれてきたかったという一部の人々の思いについて考えるとき、いま述べたことはどう関わってくるだろうか? 《(…)それが叶っていた場合、あなたはその思いを持つこともできなかった》という指摘は、彼らの思いを直接的に否定するものにはなり得ない(…)」『哲学の問い』210頁.
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