@saltandpepppppp
うみ
2 years
色々ありましたけど私はちむどんどん最後まで楽しく見せていただきましたよ!外で壁に当たったり恥ずかしい事をやらかしたり苦しいことがあっても、家族だけは手を離さずにずっと居場所であったし原動力だったという、そういう家族もあるよねといいよねと思えたよ
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Replies

@saltandpepppppp
うみ
2 years
だからって、いま家族に居場所がない人や家族に苦しめられてる人を追い詰めるような描き方にはなってなかったと思うし、比嘉家メンバーは常に比嘉家メンバーを全肯定してたけど、別にドラマが比嘉家の価値観を全肯定してたかというとそういうわけでもなく「こういう家族の形がありますよ」に見えたよ
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
だから、やたらに沖縄ややんばるの人をたくさん出して「沖縄はこう」「やんばるはこう」を描くのではなく「比嘉家はこう」の話をしてたんだと思うし、閉じた個人のコミュニティの中では一見常識とは離れた所作や関係性が成り立つということだったのではと思ってるんですけど
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
「戦争の話を知らない」「親は伝えたくなかった」にも個人的な理由があってそれを別に「沖縄の人達みんなの理由」とはしてなかったと思うし、一方で暢子が東京に出て初期のの傍若無人な振舞いには「やんばるで育ったから知らない」がうっすら滲んでて、そこのバランスは難しいけど挑戦したんだろなとか
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
個人的にはこのドラマ「寛容」的なものがテーマだったのかなとも思ってて、社会で否とされる行動や失敗があったとしても、再び受け容れてその存在自体や生きてること自体を全肯定してくれる場所や人達がいたら人間はまた再生できるって話をずっとしてたのかなと思ってて
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
それってこの分断が進んで何でも「自己責任ね」とか言われる社会に必要なメッセージだったのではと思うんだけど、厳しい言葉を投げてた人達が多かったのもまたキツかったのは正直なところかな。 失敗しても存在を全肯定してくれる存在は必要では?それは別に家族じゃなくてもいいんだけど
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
ちょっと笑えないレベルの詐欺とかをコメディで見せたりするのに忌避感あったりもするんだろけど、周囲の人間から見たらこんなもんよという意味でもあったのかなーとか。生きてたら何とかなるし見放さない人達がいるよって、いい事だと思うんだけどなぁ
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
暢子の失敗&反省が「凹んでるように見えない」「落ち込んで見えない」のも肝だったのかなと思ってて、周囲の人間に感謝したり謝罪したりして生きてるのにそれが「誰から見ても罰されて打ちひしがれている様子」である必要はないんだろね。再生する様子は人それぞれで良くないかなぁ
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
逆に歌子の病は対称的というか、ドラマとして描くと「早く検査して治しなよ何故無茶するの」ってなるけど、現実社会だと「あの人病気っていいながらしんどいの?元気なの?都合いい時だけ休まない?」ってなるタイプに見えたよね(例えばうつとか病状が不安定な内部疾患とか)
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
なんかもう色んな意味で視聴者の心を試されてるリトマス試験紙みたいなドラマだったのかなとか思うし、そういう意味では眩しいほどの明るさに包まれて毎朝問いかけられるメッセージがあって、なかなか挑戦的なドラマだったな!という感想はあります。カロリーは高かったです!
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
見てて「なんじゃそら」ってなる展開が無かったと言えばウソになりますが、(なんじゃそらと感じた自分…無自覚に他者にレッテル貼ったり見下したり否定したりしてないか…その違和感は正しいか…?)と自問自答したりしましたよね。その見方が正しい見方だったかはわからないし見方も人それぞれだけど
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@saltandpepppppp
うみ
2 years
私個人は、当時の沖縄のことも現代社会のことも自分の家族のことも色々考えさせられながら良い視聴体験ができたドラマだったので、いつか再評価されたらいいなという気持ちです。ありがとうちむどんどん!
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